この寺について
弥勒寺(みろくじ)は、墨田区立川(たてかわ)にある真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺です。山号は万徳山(まんとくさん)で、御府内八十八ヶ所の第46番札所になっています。
本尊は薬師如来(やくしにょらい)で、「川上薬師」の名でも知られます。境内には、鍼(はり)の医術に尽くした杉山和一(すぎやまわいち)の墓があり、東京都指定旧跡(きゅうせき)になっています。
歴史・由来
【江戸の町とともに移った大寺】
弥勒寺の歩みは、江戸の町が広がるなかで場所を移しながら、格の高い寺として栄えた道のりとして読めます。
伝えられるところでは、慶長15年(1610)に宥鑁(ゆうばん)という僧が、徳川家康(とくがわいえやす)から江戸の小石川にあった寺地を与えられて建てました。その後、いくつかの場所を経て、元禄2年(1689)に本所の今の場所へ移ったとされます。ただし、移転を天和2年(1682)とする記録もあり、年は一つに定まっていません。
【川上薬師とよばれる本尊】
本尊の薬師如来は、僧の行基(ぎょうき)の作と伝えられ、「川上薬師」とも呼ばれます。水戸藩主の徳川光圀(とくがわみつくに)から寄進(きしん)されたと伝わります。
伝承では、もとは常陸国(ひたちのくに)の寺にあった像が川を流れ、川上に着いたところを光圀が信仰したため、この名がついたといいます。また、寺号はもともと弥勒菩薩(みろくぼさつ)を本尊としていたことによるとされます。
【触頭(ふれがしら)をつとめた格式】
江戸時代には、新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の寺をとりまとめる触頭をつとめ、寺領100石の朱印状(しゅいんじょう)を受けていました。多くの末寺や、塔頭(たっちゅう)と呼ばれる子院を抱えていましたが、今は塔頭のうち三つの寺が近くに独立した寺として残っています。
【杉山和一の墓所】
境内の墓所に眠る杉山和一は、伊勢(いせ)の生まれで、幼くして目が見えなくなりました。江戸で鍼の技を学び、管鍼術(かんしんじゅつ)を考案したとされます。五代将軍の徳川綱吉(とくがわつなよし)の治療にあたり、元禄7年(1694)に亡くなりました。
見どころ・特徴
【杉山和一の墓と鍼供養塔】参拝記によると、門前に「正五位杉山総検校墓所」と刻まれた石碑があります。墓は五輪塔(ごりんとう)で、そばに昭和53年(1978)に建てられた鍼供養塔(はりくようとう)があります。鍼灸(しんきゅう)やマッサージに関わる団体が中心となって建てた塔です。
【戦災殉難慰霊の観音像】昭和42年(1967)に建てられた観音像です。観音像の由来記には、東京大空襲などで亡くなった約3500体の遺骨が納められているとあります。
【筆塚】書家の相沢春洋(あいざわしゅんよう)をしのぶ碑で、「筆」の一字が刻まれています。相沢春洋は、かつて境内で書道を教えていたといいます。
【薬師さまの寺】江戸時代の本所では、縁日(えんにち)のにぎわいで知られた寺でした。江戸の薬師の霊場、江戸十二薬師のひとつとされます。
【周辺を歩く】弥勒寺の向かいには、かつて塔頭だった法樹院(ほうじゅいん)があります。江東区側の森下には、江戸時代の掘割だった五間堀(ごけんぼり)の跡が、公園として残っています。
【訪ねかた】御府内八十八ヶ所の御朱印は、参拝記では庫裏(くり)の玄関横の寺務所で受け付けているとあります。受付の時間や授与の方法は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
年中行事・お祭り
【筆供養(ふでくよう)】例年11月23日
筆塚の前で営まれる供養です。相沢春洋の命日にあたる日に行われるとされます。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
本尊
薬師如来
宗派・寺格
真言宗豊山派/御府内八十八ヶ所 第46番/江戸十二薬師のひとつとされる/杉山和一墓は東京都指定旧跡
創建
慶長15年(1610)、宥鑁が小石川に建立したと伝わります。元禄2年(1689)に現在地へ移転とされますが、天和2年(1682)とする記録もあります。
テーマ
霊場・巡礼
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
住所
東京都墨田区立川1-4-13
参拝時間
参拝できる時間や御朱印の受付時間は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】最寄り駅は、都営地下鉄の森下駅です。徒歩の目安は、公式の案内を確認できていません。JR両国駅から歩くと15分ほどだったという参拝記があります。
【車】駐車場の有無は確認できていません。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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