TabiShiri
寺 世田谷区

多聞院

たもんいん

別名:金剛山多聞院(こんごうざんたもんいん)、悲願寺多聞院(ひがんじたもんいん)、金剛山悲願寺多聞院

この寺について
多聞院(たもんいん)は、世田谷区北烏山(きたからすやま)の「烏山寺町(からすやまてらまち)」にある真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺です。本尊は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)で、御府内八十八ヶ所(ごふないはちじゅうはちかしょ)の第3番札所です。 もとは新宿の角筈(つのはず)村にあった寺で、戦後に烏山へ移ってきました。境内には、江戸時代の大飢饉で亡くなった568人を供養する碑や、石に刻まれた涅槃図(ねはんず)があります。

歴史・由来

【新宿・角筈から烏山寺町へ】 多聞院は、もとは甲州街道沿いの角筈村(今の新宿区西新宿1丁目付近)にあった寺です。村の名主(なぬし)が寺地を寄進したと伝わり、江戸時代は護国寺(ごこくじ)の末寺でした。 創建については、元和元年(1615)に創建され開山は述誉(じゅつよ)とする資料と、寛永5年(1628)に述誉上人が開山したとする資料があり、食い違っています。 【戦災と再建】 昭和20年(1945)5月25日の空襲で、堂宇と寺の文化財をすべて焼失しました。昭和24年(1949)に区画整理事業の対象となり、まず墓地が烏山へ移され、昭和29年(1954)に本堂と庫裏(くり)が再建されました。烏山寺町の26寺のうち、最後に移ってきた寺とされています。 移転の完了を昭和30年(1955)とする資料もあります。 【天保の飢饉をしのぶ】 天保8年(1837)の大飢饉のとき、飢えで亡くなった568人の記録が過去帳(かこちょう)に残されています。第18世の住職が七回忌にあたって供養塔を建て、それが今も境内に伝わる「五百六十八人無縁墓」です。

見どころ・特徴

【石に刻まれた涅槃図】 境内に入ってすぐ右手に、高さ約2メートル、横約3メートルの石造の涅槃図があります。インドのデカン高原でとれる石材「シーラー」を使い、壷阪寺(つぼさかでら)から贈られたものです。涅槃図は、お釈迦(しゃか)さまが亡くなる場面を表した図です。 【五百六十八人無縁墓】 墓地には「五百六十八人無縁墓」と刻まれた、背の高い供養塔が建っています。500人余りには戒名(かいみょう)が付けられ、過去帳も残っているとされます。 【寺に伝わる仏像】 本尊の地蔵菩薩立像のほか、阿弥陀如来、不動明王、千手観音、毘沙門天(びしゃもんてん)の像、弘法大師(こうぼうだいし)の坐像が寺に伝わります。このうち阿弥陀如来など4体は、昭和30年(1955)ごろに壷阪寺から移されたものです。公開の状況は寺へお問い合わせください。 【墓所】 明治の漢詩人、本田種竹(ほんだしゅちく)や、幕末の志士の墓があります。 【周辺を歩く】 烏山寺町には26の寺院が集まっています。多聞院は、玉川八十八ヶ所霊場の第44番札所でもあります。 【訪ねかた】 御朱印の授与や参拝できる時間は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。
学び・特徴
本尊
地蔵菩薩
宗派・寺格
真言宗豊山派(本山は長谷寺〈はせでら〉)/御府内八十八ヶ所 第3番/玉川八十八ヶ所 第44番
創建
元和元年(1615)創建、開山は述誉とする資料(Wikipedia)と、寛永5年(1628)に述誉上人が開山とする資料(寺院紹介サイト)がある。いずれも旧地は新宿の角筈村。
テーマ
霊場・巡礼
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都世田谷区北烏山4丁目
参拝時間
参拝できる時間や御朱印の受付は、お出かけ前に寺へ直接お問い合わせください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【バス】関東バスの「寺院通二番」停留所で降り、少し進んだ所にあります。寺院通は烏山寺町の中心の通りで、中央自動車道の高架をくぐった先にバス停があります。 【車】駐車場の有無は確認できていません。お出かけ前に寺へお問い合わせください。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

記録を確認中...