この史跡について
隅田川の河口近くに架かる鋼のアーチ橋で、国の重要文化財。
元禄11年(1698)に初めて架けられた江戸の橋の流れをくみ、現在の橋は大正15年(1926)に完成した。
がっしりした男性的な姿で、すぐ上流の清洲橋とは対をなす景観として知られる。
歴史・由来
この橋を理解する鍵は、「江戸の大橋が、震災復興の橋として生まれ変わった」という二つの時代の重なりにある。
初代の永代橋は、元禄11年(1698)に架けられた。工事を担当したのは、関東郡代(かんとうぐんだい)の伊奈忠順(いなただのぶ)で、上野の寛永寺根本中堂(かんえいじこんぽんちゅうどう)を建て替えたときの余った木材が使われたと伝わる。
文化4年(1807)8月、深川の富岡八幡宮の祭礼に集まった人の重みで橋が落ち、1500人ほどが亡くなったと伝えられる。蜀山人(しょくさんじん)の狂歌(きょうか)「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」が、この事故を今に伝えている。
明治30年(1897)には、道路橋として日本で初めての鉄橋(鋼鉄のトラス橋)に架け替えられたが、橋の床は木でできていたため、大正12年(1923)の関東大震災で焼け落ちた。
現在の橋は、帝都復興事業(ていとふっこうじぎょう)の一つとして、大正15年(1926)12月20日に完成した。設計の原案は太田圓三(おおたえんぞう)と田中豊(たなかゆたか)、詳細な設計は竹中喜義が担当し、工事は釘宮磐(くぎみやいわお)が中心となって進めた。当時、世界でもっとも高い強度をもつ「デュコール鋼」を日本で初めて使い、やわらかい川底の地盤には「ニューマチックケーソン」という工法で土台を築いた。
平成12年(2000)に土木学会の選奨土木遺産となり、平成19年(2007)には、勝鬨橋・清洲橋とともに国の重要文化財に指定された。
見どころ・特徴
【3連の鋼アーチ】3つのアーチが連なる下路式のタイドアーチ橋で、橋長は約185メートル、いちばん長い支間は約100.6メートル。日本で初めて、100メートルを超える支間をもつ橋とされる。
【清洲橋との対比】清洲橋のやさしい曲線に対して、永代橋はがっしりとした骨太の姿。上流に清洲橋が見えるので、二つを見比べると、同じ復興事業の橋でも設計の考え方が違うことがよく分かる。
【河口の景色】隅田川が東京湾にそそぐ手前、川の入口に立つ橋で、川の流れの先に広がる景色を楽しめる。
【夜のライトアップ】日没から21時ごろまで、青い光に包まれると紹介されている。水面に映るアーチの姿が見どころ。
【訪ねかた】歩道を歩いて渡れる。清洲橋まで川沿いに歩いて見比べると、橋めぐりの楽しさが分かる。
作品ゆかり
歌川広重(うたがわひろしげ)の『名所江戸百景』には、江戸時代の永代橋が「永代橋佃しま」として描かれている。赤穂浪士(あこうろうし)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首を掲げて、永代橋を渡って泉岳寺(せんがくじ)へ向かったという言い伝えもある。
学び・特徴
指定・選定
国の重要文化財(平成19年〈2007〉6月指定。勝鬨橋・清洲橋とともに指定)。土木学会選奨土木遺産(平成12年〈2000〉。第1回の選奨)。
成立・年代
初代は元禄11年(1698)8月に架橋。現在の橋は大正15年(1926)12月20日の完成。
テーマ
重要文化財建築歴史夜景・眺望
基本情報
住所
東京都中央区新川1丁目から江東区佐賀1丁目・永代1丁目
見学時間
橋は終日、歩いて渡れます。ライトアップは日没から21時ごろまでと紹介されています。時間は変更される場合があります。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅から徒歩約12分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
訪問記録
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