この寺について
鎌倉市材木座(ざいもくざ)にある真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいかくじは)の寺、補陀洛寺(ふだらくじ)。伝承では、源頼朝(みなもとのよりとも)が僧・文覚(もんがく)を開山(かいさん、寺を開いた僧のこと)として建てた祈願所(きがんじょ)とされる。本尊は十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)で、鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)の第17番札所にあたる。たびたび強い風の被害を受けてきたことから「竜巻寺(たつまきでら)」とも呼ばれ、そのつど再建を重ねてきた寺でもある。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、「小さなお寺だが、被害を受けるたびに再建されてきた」という点にある。
伝承によれば、補陀洛寺は養和元年(ようわがんねん、1181年)、源頼朝が僧・文覚(もんがく)を開山として建てた祈願所(きがんじょ、願いごとを祈るための寺)と伝わる。本堂に祀られる不動明王(ふどうみょうおう)は、江戸時代の記録「新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)」に「平家調伏(へいけちょうぶく、平家を打ち破るための祈り)の像」と記されており、寺の始まりが源平の争乱(げんぺいのそうらん)と深く結びついていたことがうかがえる。
創建後の補陀洛寺は一時衰えたが、文和(ぶんな)年間(1350年代)、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に仕えた僧・頼基(らいき)によって再興されたと伝わる。この時に十一面観世音菩薩が本尊として迎えられ、以後この観音像が寺の顔となって、鎌倉三十三観音霊場の第17番札所として受け継がれている。
補陀洛寺はまた、たびたび強い風の被害を受けてきたことから「竜巻寺」の別名でも呼ばれてきた。台風などがもたらす強風の被害は、海に近い材木座らしい歴史ともいえる。そのつど手を尽くして再建されてきたことが、小さな寺でありながら今も参拝を受け続ける補陀洛寺の歴史の芯にある。
見どころ・特徴
【十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)】
鎌倉三十三観音霊場第17番の観音さま。文和(ぶんな)年間の再興の際に本尊として迎えられたと伝わる。11の顔を持ち、あらゆる方向から人々を見守るとされる観音さまで、この寺の信仰の中心になっている。
【頼朝(よりとも)自作と伝わる木像・文覚(もんがく)の裸形(らぎょう)像】
本堂には、源頼朝が42歳の自分の姿を写したと伝わる木像と、開山・文覚の裸形像が安置されている。裸形像とは、木の像に実際の衣をまとわせて祀る珍しい形式の像で、鎌倉時代からの信仰の厚さを感じさせる。
【平家(へいけ)の赤旗(あかはた)】
1185年、壇ノ浦(だんのうら)の戦いで平家が滅んだ際、総大将・平宗盛(たいらのむねもり)が最後まで手にしていたと伝わる赤旗が、寺の宝として伝わっている。源平の争乱の記憶を今に伝える品である。
【竜巻寺(たつまきでら)という呼び名】
たびたび強い風の被害を受けてきたことから、地元では「竜巻寺」とも呼ばれてきた。傷むたびに再建を重ねてきた、粘り強い寺の歩みを物語る呼び名である。
学び・特徴
主祭神
十一面観世音菩薩
社格
鎌倉三十三観音霊場第17番札所
創建
養和元年(ようわがんねん、1181年)、源頼朝の創建、文覚(もんがく)を開山とする伝承がある(いずれも寺伝による)。
ご利益
厄除け開運
テーマ
鎌倉三十三観音霊場源頼朝ゆかり平家物語ゆかり
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
神奈川県鎌倉市材木座6-7-31
参拝時間
9時から日没まで。拝観料は志納(しのう、決まった額のない寄進)です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR鎌倉駅東口から、小坪(こつぼ)・逗子駅(ずしえき)方面行きのバスに乗り、「材木座」バス停で下車、徒歩2分ほど。歩く場合は、鎌倉駅東口から材木座方面へ20分から30分ほどです。専用駐車場の有無は情報源で確認できなかったため、車で訪ねる場合は事前に確認するか、周辺のパーキングを利用してください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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