TabiShiri
寺 御朱印 鎌倉市

九品寺

くほんじ

この寺について
九品寺(くほんじ)は神奈川県鎌倉市材木座(ざいもくざ)にある浄土宗(じょうどしゅう)の寺です。山号は内裏山(だいりさん)、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)で、鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)の第16番札所として聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)をお祀りしています。鎌倉幕府を攻め滅ぼした武将、新田義貞(にったよしさだ)ゆかりの寺として知られ、山門と本堂に掲げられた額の文字は義貞の筆を写したものと伝えられています。

歴史・由来

この寺を理解する鍵は、新田義貞(にったよしさだ)という武将が、この場所に二度、異なる形でかかわっている点にあります。 元弘(げんこう)3年(1333年)、新田義貞は鎌倉幕府を攻め滅ぼすために鎌倉へ攻め入り、材木座のこの一帯に本陣(ほんじん、軍を指揮するための拠点)を構えたと伝えられています。稲村ヶ崎(いなむらがさき)の海沿いを進んで鎌倉に攻め込んだという逸話で知られる義貞は、この戦いで鎌倉幕府を滅ぼしました。 それから3年後の建武(けんむ)3年、南朝(なんちょう)の年号では延元(えんげん)元年にあたる1336年、義貞は自らが本陣を置いたこの場所に、戦いで亡くなった人々、とりわけ滅ぼした側である北条氏方の戦死者を弔うために九品寺を建てたと伝えられています。開山(かいさん、寺を開いた僧)は風航順西(ふうこうじゅんせい)という僧で、義貞は開基(かいき、寺を建てた人)にあたります。山門に掲げられた「内裏山」、本堂の「九品寺」の額の文字は、義貞自身の筆を写したものと伝えられ、直筆とされる書が今も本堂に伝わっているといいます。 鎌倉に攻め入った武将自身が、後にその場所で戦死者を弔う寺を建てたという伝承は、九品寺を単なる合戦の跡地以上の場所にしています。勝者としてこの地に立った義貞が、敵であった人々の魂まで弔おうとしたという物語が、今も山号と寺号の文字に刻まれているのです。

見どころ・特徴

【新田義貞ゆかりの筆】 山門にかかる「内裏山」、本堂にかかる「九品寺」の額は、新田義貞自身の筆を写したものと伝えられています。直筆とされる書が本堂に伝わっており、九品寺は新田義貞が鎌倉に建てた数少ない寺のひとつといわれています。 【本尊の阿弥陀如来立像】 本堂の本尊である阿弥陀如来立像は、鎌倉市の指定文化財です。やわらかな表情の阿弥陀様が、静かな本堂で参拝者を迎えてくれます。 【境内に伝わる石造薬師如来像】 境内には神奈川県指定の文化財である石造薬師如来像も伝わっています。素朴な石仏の姿から、長い年月にわたって地域の人々に大切にされてきたことがうかがえます。 【鎌倉三十三観音霊場の札所】 九品寺は鎌倉三十三観音霊場の第16番札所で、札所本尊として聖観世音菩薩をお祀りしています。観音霊場めぐりで訪れる参拝者も多く、静かに手を合わせられる時間が流れています。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来聖観世音菩薩
社格
院号は霊嶽院で、正式には内裏山霊嶽院九品寺と称します。鎌倉三十三観音霊場の第16番札所です。
創建
建武3年、南朝の年号では延元元年にあたる1336年に、新田義貞を開基、風航順西(ふうこうじゅんせい)を開山として創建されたと伝えられています。その3年前の元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉攻めの際にこの地に本陣を構えたことに由来する場所です。
ご利益
先祖供養極楽往生
テーマ
新田義貞ゆかり鎌倉三十三観音霊場
この場所を巡る軸
基本情報
住所
神奈川県鎌倉市材木座5-13-14
参拝時間
参拝時間は9時から16時までです。拝観料は決まった金額のない志納(しのう、気持ちの分だけ納める形)です。御朱印を希望する場合は、事前に問い合わせてから訪れると安心です。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR横須賀線(よこすかせん)鎌倉駅の東口から徒歩約20分です。鎌倉駅東口のバス乗り場から九品寺方面行きのバスに乗り、「九品寺」バス停で降りるとより近く着けます。材木座(ざいもくざ)海岸からは徒歩約3分ほどの距離です。境内に参拝者用の駐車場はなく、車で訪れる場合は周辺の民間駐車場を利用してください。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

記録を確認中...