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寺 御朱印 入間市

高正寺

こうしょうじ

この寺について
高正寺は埼玉県入間市仏子(ぶし)にある曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院で、正式には諏訪山萬齢院高正寺(すわさん・ばんれいいん・こうしょうじ)という。本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)で、武蔵野三十三観音霊場第21番として聖観音(しょうかんのん)をまつっている。境内には入間市指定文化財の板碑(いたび)が5基伝わり、鎌倉時代から室町時代にかけての石の記録を今に伝えている。

歴史・由来

【この寺を理解する鍵は、寺そのものより古い「石の記録」】 高正寺が今の場所に興ったのは室町時代の大永年間(だいえいねんかん、1521年から1528年ごろ)のこと。金子伊豆守親範(かねこいずのかみちかのり)を開基とし、その法名を「高正寺」といったことが寺の名の由来と伝わる。実際にこの地へ移って寺を興したのは瑞泉院(ずいせんいん)二世の菊陰瑞潭(きくいんずいたん)で、寺を再び興した僧という意味で中興開山(ちゅうこうかいさん)と位置づけられている。瑞潭は大永4年(1524年)12月8日に亡くなったと伝わる。 時代が下って江戸時代の慶安年間(けいあんねんかん、1648年から1652年ごろ)には、江戸幕府から寺領4石(こく)の御朱印状(ごしゅいんじょう、幕府が寺社の領地を認めた証明書)を受け取ったという記録が残る。 ところが、この寺の歴史でさらに興味深いのは、境内に伝わる板碑(いたび、中世につくられた石の供養塔)の存在だ。5基のうち最も古いものは寛元4年(1246年)につくられたとみられ、これは寺が室町時代に興るよりも300年近く前にあたる。つまり、高正寺という寺が生まれるずっと前から、この場所には人々が祈りをささげてきた歴史があったことになる。この板碑群は入間市内で最も古い板碑として、入間市の指定文化財になっている。

見どころ・特徴

【板碑(いたび)】境内には入間市指定文化財の板碑が5基伝わる。緑泥石片岩(りょくでいせきへんがん、通称・青石)でつくられた中世の石の供養塔で、最も古いものは寛元4年(1246年)、最も新しいものは宝徳4年(1452年)の銘を持ち、入間市内で最古の板碑群として知られる。最大のものは高さ207センチメートルにもなる。 【鐘楼門(しょうろうもん)】山門の上に鐘を吊るした鐘楼門が構えられている。参道から玉砂利(たまじゃり)越しに見上げると、寺の風格が感じられる。 【羅漢像(らかんぞう)】お釈迦様の弟子たちの姿を表した羅漢像が、表情豊かに居並んでいる。一体ずつ違う顔を見比べながら歩くのも楽しい。 【観音像】古い様式で彫られた観音像がまつられ、武蔵野三十三観音霊場の札所らしい、おごそかな雰囲気を伝えている。
年中行事・お祭り
高正寺で毎年決まって行われる行事について、今回確認できた資料の中には具体的な記載がありませんでした。武蔵野三十三観音霊場全体としての行事が行われることもあるため、最新情報は霊場の公式サイトなどであわせてご確認ください。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ、本尊)聖観音(しょうかんのん、札所本尊)
社格
慶安年間(1648年から1652年ごろ)、江戸幕府より寺領4石(こく)の御朱印状を拝領したと伝わる。
創建
大永年間(だいえいねんかん、1521年から1528年ごろ)、金子伊豆守親範(かねこいずのかみちかのり)を開基、瑞泉院二世・菊陰瑞潭(きくいんずいたん)を中興開山として興ったと伝わる。瑞潭は大永4年(1524年)12月8日に示寂した。
ご利益
学業成就心願成就
テーマ
武蔵野三十三観音霊場板碑
この場所を巡る軸
基本情報
住所
埼玉県入間市仏子1511
参拝時間
具体的な参拝時間は今回確認できた資料には記載がありませんでした。日中に参拝される方が多いようですが、訪ねる前に寺へご確認いただくと安心です。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
西武池袋線(せいぶいけぶくろせん)仏子駅(ぶしえき)から徒歩約5分。駐車場の有無は確認できていないため、車で訪れる場合は事前に寺へご確認いただくと安心です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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