この寺について
徳林寺(とくりんじ)は、埼玉県狭山市入間川(いるまがわ)にある曹洞宗(そうとうしゅう、禅宗の一派)の寺院です。山号は福聚山(ふくじゅさん)。武蔵野三十三観音霊場の第17番札所で、札所本尊は聖観音(しょうかんのん)です。寺の起こりは、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げた新田義貞(にったよしさだ)が本陣の守り仏として観音像を安置したという伝承にさかのぼります。西武新宿線の狭山市駅から歩いてすぐの、まちなかで歴史にふれられるお寺です。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、一体の観音(かんのん)さまが、戦乱の世の守り仏から、公方(くぼう)の御所を見守る仏、そして禅寺の札所本尊へと、役割を変えながら受け継がれてきた歩みにあります。
元弘3年(げんこう3ねん、1333年)、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げた新田義貞(にったよしさだ)は、鎌倉攻めの途中でこの入間川のあたりに本陣を置いたと伝わります。その際、戦いの無事を祈る守り仏として聖観世音(しょうかんぜおん)を安置したのが、徳林寺のはじまりとされています。
その後、文和2年(ぶんなにねん、1353年)からおよそ9年間、鎌倉公方(かまくらくぼう、関東を治めた足利将軍家の一族)だった足利基氏(あしかがもとうじ)が滞在した「入間川御所(いるまがわごしょ)」も、この徳林寺の地にあったと伝えられています。
寺として正式に整えられたのは、さらに後の永正(えいしょう)から享禄(きょうろく)の頃、西暦でいうと1504年ごろから1532年ごろのことと伝わります。入間市金子(いるまし かねこ)にある瑞泉院(ずいせんいん)の三世(さんせ、三代目の住職)にあたる一樹存松和尚(いちじゅぞんしょう)を開山(かいさん、寺を開いた僧)とし、小沢主税(おざわちから)を開基(かいき、建立のための費用や土地を寄進した人)として、曹洞宗(そうとうしゅう)の禅寺としての歩みが始まりました。開山の一樹存松和尚は天文2年(てんぶん2ねん、1533年)に亡くなったと伝わります。
昭和15年(1940年)、郷土史家の柴田常恵(しばたじょうえ)の発願で武蔵野三十三観音霊場が結成されると、徳林寺は第17番札所に選ばれました。この霊場は「国運の隆昌」と「戦没者の慰霊」を願って作られたもので、戦時中の混乱でいったん活動が途絶えましたが、平成5年(1993年)に有志によって再結成され、今も西武線沿線を中心とした34ヶ寺の巡礼路として親しまれています。守り仏として迎えられた聖観音は、武将の陣、公方の御所、禅寺の本尊を経て、今はこの巡礼の札所本尊として参拝者を迎えています。
見どころ・特徴
【聖観音(しょうかんのん)にまつわる伝承】
本堂の本尊とは別に、武蔵野三十三観音霊場の札所本尊として祀られているのが聖観音です。新田義貞(にったよしさだ)が本陣の守り仏として安置したという伝承が残り、戦の世をくぐり抜けてきた観音さまとして参拝者を迎えています。
【耳の健康を願う延命地蔵尊(えんめいじぞうそん)】
境内の地蔵堂には「耳地蔵」として親しまれる延命地蔵尊が祀られています。入間川で穴のあいた石を拾い、その穴に糸を通して祈願すると耳が聞こえるようになったという言い伝えがあり、今も耳の健康を願う人々の信仰を集めています。
【大観音石仏】
境内には近年建てられた大きな観音石仏があり、寺の新しい見どころになっています。歴史ある聖観音の伝承とあわせて、観音さまとのご縁を感じられる場所です。
【市指定文化財の仏画】
釈迦(しゃか)が亡くなる場面を描いた「絹本着色釈迦涅槃図(けんぽんちゃくしょくしゃかねはんず)」と、釈迦の生涯の主な出来事を描いた「絹本着色釈迦八相図(けんぽんちゃくしょくしゃかはっそうず)」の2幅は、狭山市の指定文化財です。常時公開されているかどうかは確認できなかったため、拝観を希望する場合は事前に寺へご相談ください。
学び・特徴
主祭神
釈迦如来(本堂の本尊)聖観音(札所本尊)
社格
曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院で、入間市金子(いるまし かねこ)の瑞泉院(ずいせんいん)を本寺とする末寺(まつじ)です。武蔵野三十三観音霊場第17番の札所。
創建
寺として正式に整えられたのは永正(えいしょう)から享禄(きょうろく)の頃、西暦1504年ごろから1532年ごろと伝わります。開山(かいさん)は一樹存松和尚(いちじゅぞんしょう)、開基(かいき)は小沢主税(おざわちから)。起源としては、元弘3年(1333年)に新田義貞(にったよしさだ)が観音像を安置したという伝承にさかのぼります。
ご利益
健康祈願
テーマ
武蔵野三十三観音霊場曹洞宗新田義貞ゆかり
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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