この寺について
花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市にある曹洞宗の寺院で、山号は台雲山(たいうんざん)。正保2年(1645年)、赤穂藩主・浅野長直(あさのながなお)によって浅野家の菩提寺(ぼだいじ)として建てられました。「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」で知られる赤穂浪士(あこうろうし)ゆかりの寺として広く知られ、境内には義士墓や義士木像堂があります。新西国三十三箇所第31番の札所でもあります。
歴史・由来
花岳寺を理解する鍵は、この寺が赤穂藩主・浅野家(あさのけ)の菩提寺(ぼだいじ、その家の先祖代々を弔う寺)として建てられたことにあります。正保2年(しょうほう2ねん、1645年)、常陸国笠間藩(ひたちのくにかさまはん、現在の茨城県)から赤穂へ転封(てんぽう、領地替え)となった大名・浅野長直(あさのながなお)が、菩提寺としてこの寺を建てました。
花岳寺の名がとりわけ広く知られているのは、「忠臣蔵」の物語ゆえです。元禄14年(1701年)、浅野長直の孫にあたる浅野長矩(あさのながのり、内匠頭〈たくみのかみ〉)が江戸城内で刃傷(にんじょう)事件を起こして切腹を命じられ、赤穂藩は取り潰しとなりました。その後、家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめとする赤穂浪士たちが、主君の無念を晴らすため吉良邸へ討ち入りしたことは、「忠臣蔵」の物語として広く語り継がれています。花岳寺は、この浅野家の菩提寺として、浪士たちともゆかりの深い寺なのです。
元文4年(げんぶん4ねん、1739年)、赤穂浪士の37回忌にあたって境内に義士墓が建立されました。浪士たちの遺髪がここに納められているという説も伝わっています。境内の鐘楼には「鳴らずの鐘」と呼ばれる鐘があり、赤穂浪士たちが江戸で切腹を命じられたという知らせが届いたとき、町の人々が悲しみのあまりこの鐘をつき続け、ついには本来の音色を失ってしまった、という逸話が語り継がれています。
見どころ・特徴
【赤穂城から移築された山門】山門は、赤穂城の塩屋総門(しおやそうもん)を移したものと伝わる珍しい建物です。城の一部が寺の入り口として今に伝えられています。
【鳴らずの鐘】境内の鐘楼にある「鳴らずの鐘」は、赤穂義士たちの切腹の知らせを受けた町民が悲しみのあまりつき続け、音色を失ってしまったという逸話が伝わる鐘です。
【義士墓所と義士木像堂】赤穂浪士たちの墓が並ぶ義士墓所と、木像を安置する義士木像堂があります。義士木像堂の本尊・千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)が、新西国三十三箇所第31番の札所本尊にあたります。
【二重屋根の本堂】本堂は二重屋根の造りで、曹洞宗の寺院らしい落ち着いた佇まいを見せています。
年中行事・お祭り
【赤穂義士祭】毎年12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日にちなんで営まれる行事です。花岳寺は赤穂浪士ゆかりの寺として、この日にあわせて多くの参拝者を迎えます。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
釈迦如来千手観世音菩薩
社格
曹洞宗の寺院で、赤穂藩主浅野家の菩提寺。新西国三十三箇所第31番札所。
創建
正保2年(1645年)、赤穂藩主・浅野長直(あさのながなお)が浅野家の菩提寺として建立した。
ご利益
諸願成就
テーマ
新西国三十三箇所忠臣蔵赤穂義士
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
兵庫県赤穂市加里屋1992
参拝時間
拝観時間は午前9時から午後4時までで、年中無休です。義士墓所・宝物館・義士木像堂の拝観料は大人500円、小学生以下は無料です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
電車の場合、JR赤穂線「播州赤穂駅」から南へ徒歩約10分です。
車の場合、山陽自動車道「赤穂インターチェンジ」から約10分です。
公式サイト
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
記録を確認中...