この寺について
光明寺(こうみょうじ)は、兵庫県加東市にある高野山真言宗の寺院で、山号は五峯山(ごぶさん)。「播磨高野(はりまこうや)」とも呼ばれる真言宗七十五名刹のひとつです。飛鳥時代の推古天皇2年(594年)、天竺(インド)から飛来したと伝わる法道(ほうどう)によって開かれたと伝えられます。新西国三十三箇所第28番の札所であり、南北朝時代には境内が合戦の舞台にもなった歴史ある古刹(こさつ)です。
歴史・由来
光明寺を理解する鍵は、この寺が古くから「戦の舞台」にもなってきた点にあります。寺の伝えによれば、推古天皇(すいこてんのう)2年(594年)、法道(ほうどう)という僧がこの地を開いたのが始まりとされています。法道は天竺(てんじく、インド)から紫の雲に乗って飛来したという伝説を持つ人物ですが、実在した可能性も指摘されています。
寺の歴史で特に知られているのが、正平6年・観応2年(しょうへい6ねん・かんのう2ねん、1351年)に境内で繰り広げられた「光明寺合戦」です。当時は南北朝時代の動乱の中で、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)・高師直(こうのもろなお)の軍と、尊氏の弟・足利直義(あしかがただよし)方の軍とが対立を深めていました(この内紛は「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」と呼ばれます)。光明寺の山内に築かれた光明寺城が、この対立の主戦場のひとつとなったのです。
その後も寺は幾度かの変遷を経て、現在の本堂は大正14年(1925年)、近代建築を代表する建築家・武田五一(たけだごいち)の設計によって再建されました。鎌倉時代の様式を受け継ぐこの本堂は登録有形文化財に指定されています。境内の塔頭・遍照院(へんじょういん)には平安時代前期の銅造如来坐像(どうぞうにょらいざぞう)が伝わり、国の重要文化財に指定されています。
見どころ・特徴
【武田五一設計の本堂】現在の本堂は大正14年(1925年)、日本の近代建築を代表する建築家・武田五一(たけだごいち)の設計によって再建されました。鎌倉時代の様式を受け継いだ意匠で、登録有形文化財に指定されています。
【国指定重要文化財の如来像】塔頭・遍照院(へんじょういん)が所有する銅造如来坐像(どうぞうにょらいざぞう)は平安時代前期の作、像高24センチメートルほどの小像で、国の重要文化財に指定されています(昭和56年指定)。普段は非公開ですが、毎年5月3日の花まつりの日に公開されます。
【光明寺合戦の舞台】南北朝時代の正平6年・観応2年(1351年)、境内にあった光明寺城で足利尊氏方と足利直義方が争った「光明寺合戦」の舞台として知られています。歴史好きには見逃せない史跡です。
【文殊堂・常行堂などの伽藍】本堂のほかにも文殊堂(もんじゅどう)、鎮守社(ちんじゅしゃ)、常行堂(じょうぎょうどう)などが山内に点在し、山寺らしい静かな雰囲気の中を歩いて巡ることができます。
学び・特徴
主祭神
十一面千手千眼観世音菩薩不動明王(脇士)毘沙門天王(脇士)
社格
高野山真言宗の寺院で、真言宗七十五名刹の一つ。新西国三十三箇所第28番、播磨西国三十三箇所第18番の札所。
創建
推古天皇2年(594年)、法道(ほうどう)によって開かれたと伝わる。
ご利益
諸願成就
テーマ
新西国三十三箇所古戦場紅葉
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
兵庫県加東市光明寺433
参拝時間
境内は拝観料無料で、自由に参拝できます。御朱印の受付時間は9時から17時までで、多聞院・遍照院・大慈院・花蔵院の4つの塔頭が年番制で対応しています。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
電車の場合、JR加古川線「滝野駅」から徒歩20分から30分ほどです。距離は約1.2キロメートルで、途中300メートルほど急勾配の舗装道があるため、歩きやすい靴で向かうことをおすすめします。
車の場合、中国自動車道「滝野社インターチェンジ」から国道175号線経由で約10分です。境内には無料駐車場があり、乗用車40台・バス5台分駐車できます。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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