この寺について
伽耶院(がやいん)は、兵庫県三木市の山あいに建つ、本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の寺院です。寺に伝わる話では、大化元年(645年)に法道仙人(ほうどうせんにん)がこの地に寺を開いたとされています。本尊は毘沙門天(びしゃもんてん)。今も山伏(やまぶし)の修行の場として知られ、境内には国指定重要文化財の建物が並びます。新西国三十三箇所(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)第26番札所でもあります。
歴史・由来
伽耶院の歴史を語るうえで欠かせないのが、戦国の争乱と、そのあとの再建の物語です。
寺に伝わる話によると、伽耶院が開かれたのは大化元年(645年)。孝徳天皇(こうとくてんのう)の勅願寺(ちょくがんじ、天皇の命により建てられた寺)として、法道仙人(ほうどうせんにん)という僧がこの地に寺を建てたのが始まりとされています。ただし、草創期の正確な時期やいきさつは、実ははっきりとはわかっていません。開創当初は「大谿寺(だいけいじ)」や「東一坊(とういちぼう)」と呼ばれており、「伽耶院」という今の名になったのは江戸時代、天和元年(1681年)に後西上皇(ごさいじょうこう)の勅によって改められてからのことです。平安時代中期には数十の堂宇と130余りの坊を数えるほど栄えたと伝わります。
大きな転機となったのは、安土桃山時代の三木合戦(みきかっせん)です。羽柴秀吉(はしばひでよし、のちの豊臣秀吉)が三木城を攻めたこの戦いで、伽耶院には城主・別所長治(べっしょながはる)方の陣が置かれました。そのため寺は戦いに巻き込まれ、兵火によって大きな被害を受けてしまいます。さらに慶長14年(1609年)には失火によって山内のほぼすべての建物を焼失するという、二重の苦難に見舞われました。
伽耶院が今の姿を取り戻すのは、江戸時代に入ってからのことです。各地の大名たちの信仰と寄進によって、焼け落ちた堂宇が次々と再建されました。寛永7年(1630年)には土佐国(とさのくに、今の高知県)高知藩主・山内忠義(やまうちただよし)によって行者堂(ぎょうじゃどう)が、正保3年(1646年)ごろには本堂にあたる金堂(こんどう、寺伝では慶長15年〈1610年〉ともいわれますが、解体修理の際の調査で正保3年建立と判明しました)が、正保5年(1648年)には豊前国(ぶぜんのくに、今の福岡県東部)小倉藩主・小笠原忠真(おがさわらただざね)によって多宝塔(たほうとう)が、そして明暦2年(1656年)には丹後国(たんごのくに、今の京都府北部)峰山藩主・京極高供(きょうごくたかとも)によって開山堂(かいさんどう)が建てられています。江戸時代の伽耶院は、天台系の山伏(やまぶし)たちを束ねる格式の高い寺としても知られていました。
こうして各地の大名の手で再建された建物の多くが今も残っています。金堂・多宝塔・鎮守社である三坂明神社(みさかみょうじんしゃ)本殿は国の重要文化財に、開山堂は兵庫県指定有形文化財に、修験道(しゅげんどう)の開祖と伝えられる役行者(えんのぎょうじゃ、役小角〈えんのおづぬ〉とも呼ばれます)の像を祀る行者堂は三木市指定有形文化財に、それぞれ指定されています。戦で焼かれながらも、時の権力者たちの信仰に支えられて姿を保ってきた寺なのです。
見どころ・特徴
【国指定重要文化財の金堂と多宝塔】
伽耶院の本堂にあたる金堂(こんどう)と、屋根が二重になった多宝塔(たほうとう)は、どちらも国の重要文化財です。金堂は本尊の毘沙門天(びしゃもんてん)を安置するお堂で、江戸時代の正保3年(1646年)ごろに建て直されたと考えられています。多宝塔は正保5年(1648年)の建立で、どっしりとした姿を今に伝えています。
【鎮守社・三坂明神社本殿】
境内の鎮守社(ちんじゅしゃ、寺を守る神様を祀るお社)である三坂明神社(みさかみょうじんしゃ)本殿も、金堂・多宝塔とあわせて国の重要文化財に指定されています。正保年間(1645年から1648年ごろ)に再建されました。
【役行者を祀る行者堂】
行者堂(ぎょうじゃどう)には、修験道の開祖と伝えられる役行者(えんのぎょうじゃ、役小角〈えんのおづぬ〉)の像が安置されています。寛永7年(1630年)の建立で、三木市の指定有形文化財です。「山伏の寺」と呼ばれる伽耶院らしさが、このお堂によく表れています。
【二天堂(中門)】
境内の入り口にあたる二天堂(にてんどう、中門)も、江戸時代の建立と伝わる三木市指定有形文化財。金堂や多宝塔とあわせて、江戸時代の建物群をひとめぐりできます。
【草を10本引いて納める入山料】
伽耶院ならではのおもしろい習わしとして知られているのが、入山料の納め方です。お金の代わりに「草ひき十本」、つまり境内の草を10本引き抜くことで入山料に代えるならわしになっています。本尊の毘沙門天など内陣の仏像を間近で拝観したい場合は、事前に電話で問い合わせたうえで、志納(しのう、決まった金額のないお布施)にて拝観できます。
年中行事・お祭り
【採燈大護摩供(さいとうおおごま)】例年10月の「スポーツの日」に開催。山伏(やまぶし)の行列や、弓・剣・斧を使った修験道(しゅげんどう)の作法、大護摩法要、福徳餅まきなどが行われる。
【月例祈祷護摩・写経写仏会】毎月第3土曜日の午後に、祈祷護摩(きとうごま)と写経写仏会(しゃきょうしゃぶつえ)が行われている。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
毘沙門天
社格
新西国三十三箇所(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)第26番札所。本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)に属し、山伏(やまぶし)の修行の寺として知られています。
創建
寺伝(じでん、寺に伝わる話)では、大化元年(645年)に、孝徳天皇(こうとくてんのう)の勅願により法道仙人(ほうどうせんにん)が開いたとされています。ただし、草創期の正確な時期やいきさつは判然としていません。開創当初は「大谿寺(だいけいじ)」「東一坊(とういちぼう)」と呼ばれ、「伽耶院」の名になったのは天和元年(1681年)、後西上皇(ごさいじょうこう)の勅によってのことです。修験道の開祖として知られる役行者(えんのぎょうじゃ、役小角〈えんのおづぬ〉)は開山の伝承そのものには登場しませんが、境内の行者堂にその像が安置されており、修験道の寺としての性格を今に伝えています。
テーマ
修験道歴史
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
兵庫県三木市志染町大谷410
参拝時間
拝観時間は午前9時から午後5時まで。入山料は「草ひき十本」というならわしで、お金の代わりに境内の草を10本引き抜いて納める。本尊の毘沙門天など内陣の仏像を間近で拝観したい場合は、事前に電話予約のうえ、志納として500円程度をお納めする。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
車の場合、山陽自動車道(さんようじどうしゃどう)三木東(みきひがし)インターチェンジから北へ向かい、大谷口(おおたにぐち)交差点を右折(東へ)して約4分。
電車・バスの場合、神戸電鉄(こうべでんてつ)緑が丘(みどりがおか)駅から、神姫(しんき)ゾーンバス(土曜・日曜・祝日のみ運行)のネスタリゾート神戸行きに乗り、「伽耶院口」で下車後、徒歩約10分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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