TabiShiri
寺 御朱印 南河内郡太子町

西方院

さいほういん

別名:法楽寺(ほうらくじ)

この寺について
西方院(さいほういん)は、大阪府南河内郡太子町にある浄土宗の寺院です。聖徳太子(しょうとくたいし)の墓所である叡福寺(えいふくじ)のすぐそばにあり、推古天皇30年(622年)に太子に仕えた三人の侍女が出家して建てたのが始まりと伝わります。この三人は「三尼公(さんにこう)」と呼ばれ、境内には三尼公の墓と伝わる石塔や、太子作と伝わる阿弥陀如来像を祀る本堂があります。新西国三十三箇所第8番、河内西国霊場第3番の札所として、今も多くの参拝者や御朱印集めの人が訪れています。

歴史・由来

西方院を理解する鍵は、すぐそばに聖徳太子の墓所・叡福寺があることです。推古天皇30年(622年)、太子が亡くなると、太子に仕えていた三人の女性――蘇我馬子(そがのうまこ)の娘・月益(つきます)、小野妹子(おののいもこ)の娘・日益(ひます)、物部守屋(もののべのもりや)の娘・玉照(たまてる)――が髪を剃って尼となり、太子の墓のそばにお堂を建てて冥福を祈ったのが始まりと伝えられています。剃髪した三人はそれぞれ善信(ぜんしん)・禅蔵(ぜんぞう)・恵善(えぜん)と名乗り、のちに「三尼公」と呼ばれるようになりました。当時の寺号は法楽寺で、太子自らが刻んだと伝わる阿弥陀如来像を本尊として祀り、念仏を唱え続ける道場として知られていました。寺は時代を経て荒廃したと伝わりますが、江戸時代の寛永16年(1639年)、浄土宗の尼僧によって本堂が再建されて中興され、寺号も現在の「西方院」に改められました。今も本堂には太子作と伝わる阿弥陀如来像と三尼公の木像が安置され、境内南側の御廟所には三尼公の墓と伝えられる3基の石塔が並び、千数百年前の物語を今に伝えています。

見どころ・特徴

【三尼公御廟所】境内南側の墓地には、三尼公(さんにこう)の墓と伝えられる3基の石塔が並んでいます。聖徳太子に仕えた三人の姫の物語を感じられる、静かな一角です。 【本堂と阿弥陀如来】寛永16年(1639年)に再建された本堂には、聖徳太子自らが彫ったと伝わる阿弥陀如来(あみだにょらい)立像が安置されています。 【観音堂の十一面観音】観音堂には、平安時代の僧・恵心僧都(えしんそうず)が刻んだと伝わる十一面観音(じゅういちめんかんのん)像が祀られ、新西国三十三箇所第8番の札所本尊となっています。 【枯山水の庭園】境内には四季で表情を変える枯山水(かれさんすい)の庭園や、壽観庵(じゅかんあん)と呼ばれる茶室があり、静かなひとときを過ごせます。 【複数の御朱印】新西国三十三箇所第8番、河内西国霊場第3番など、複数の御朱印がいただけます。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来十一面観音
社格
浄土宗の寺院で、特定の社格は確認できませんでした。新西国三十三箇所第8番、河内西国霊場第3番の札所です。
創建
推古天皇30年(622年)、聖徳太子の死去にともない、太子に仕えていた三人の侍女(のちの三尼公)が出家し、墓前に堂を建てたのが始まりと伝わります。当初の寺号は法楽寺で、江戸時代の寛永16年(1639年)に中興され、現在の「西方院」に改称されました。日本で最初に創建された尼寺と称されています。
ご利益
極楽往生
テーマ
聖徳太子ゆかり尼寺巡礼庭園
この場所を巡る軸
基本情報
住所
大阪府南河内郡太子町太子1663
参拝時間
拝観時間は午前9時から午後5時まで、拝観料は無料です(太子町観光協会の案内による)。行事などにより変更されることがあるため、参拝前に公式サイトでのご確認をおすすめします。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
電車の場合、近鉄南大阪線「上ノ太子駅」または近鉄長野線「喜志駅」が最寄り駅です。どちらの駅からも、聖徳太子の墓所・叡福寺方面へ向かうバスに乗り、「聖徳太子御廟前」のバス停で降りて徒歩数分です(西方院は叡福寺のすぐ隣にあります)。車の場合は、南阪奈道路の太子ICまたは羽曳野東ICが最寄りです。西方院専用の駐車場の有無・台数は確認が取れなかったため、車で訪ねる場合は事前に公式サイト等でご確認ください。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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