TabiShiri
寺 御朱印 伊都郡高野町

宝亀院

ほうきいん

別名:御衣寺(おころもでら)

この寺について
高野山(こうやさん)の中心、壇上伽藍(だんじょうがらん)から少し南に下った静かな谷、西院谷(さいいんだに)に建つ古い寺です。平安時代、醍醐天皇(だいごてんのう)の願いによって建てられたと伝わり、「御衣寺(おころもでら)」という愛称でも呼ばれています。毎年、空海(くうかい、弘法大師)に新しい衣をお供えする法要を営む、高野山の中でも独特の役目を持つ寺院です。新西国三十三箇所(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)第6番の札所でもあります。

歴史・由来

宝亀院を語るとき欠かせないのが、「衣(ころも)」をめぐる一つの伝承です。 平安時代の延喜21年(えんぎにじゅういちねん、921年)、醍醐天皇(だいごてんのう)は、すでに亡くなっていた空海に「弘法大師(こうぼうだいし)」という称号を贈ることを決めました。このとき東寺(とうじ)のトップを務めていた観賢(かんげん)僧正が、天皇の命を受けて高野山の奥之院(おくのいん)にある空海の御廟(ごびょう、お墓にあたる場所)へ向かったと伝わります。そこで観賢が目にしたのは、長い年月をまとい続けてすり切れた衣を着た空海の姿だったといいます。天皇はこれを聞き、新しい衣を仕立てて御廟に納めるよう命じ、その役目を担う寺として建てられたのが宝亀院だと伝えられています。 寺の名前「宝亀」は、空海が生まれたとされる宝亀5年(ほうきごねん、774年)にちなむとされます。境内には観賢が掘ったと伝わる井戸が今も残り、「御衣替(おころもがえ)」の法要では、この井戸の水で衣を清めてから奥之院へ運ぶ習わしが今日まで続いています。「御衣寺」という通称も、この一連の伝承に由来します。 ただしこれらはあくまで寺に伝わる由緒であり、史実として確定している部分と、信仰の中で語り継がれてきた部分とが重なっていることには注意が必要です。確かな史実としては、宝亀院が平安時代作とされる木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう)をはじめ、桃山時代の絵画や平安時代の書跡を今に伝え、いずれも国の重要文化財に指定されていることが挙げられます。

見どころ・特徴

【観賢井戸(かんげんいど)】創建の伝承に登場する観賢僧正が掘ったと伝わる井戸が、今も境内に残っています。毎年の御衣替(おころもがえ)法要では、この井戸の水で衣を清めてから奥之院へ運ぶ習わしが続いています。 【国の重要文化財】平安時代作の木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう)のほか、桃山時代の絵画「紙本著色鶏図(しほんちゃくしょくとりず)」、平安時代の書跡「崔子玉座右銘断簡(さいしぎょくざゆうめいだんかん)」を所蔵し、いずれも国の重要文化財に指定されています。 【池のある庭園】境内には池を中心とした庭園があります。小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作と伝わることもありますが、はっきりとした記録は確認できていません。季節の草花を楽しめる、静かな場所です。
年中行事・お祭り
【弘法大師御衣替法要(こうぼうだいしおころもがえほうよう)】毎年3月21日、空海の命日にあたるこの日に、境内の井戸の水で清めた新しい衣を仕立て、奥之院の弘法大師御廟へ奉納する法要が営まれます。宝亀院が高野山の中でも特別な役目を持つことを伝える、一年でもっとも大切な行事です。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
十一面観世音菩薩弁才天
社格
高野山真言宗総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)の塔頭(たっちゅう)寺院の一つ。新西国三十三箇所第6番札所。
創建
延喜21年(えんぎにじゅういちねん、921年)、醍醐天皇の勅願(ちょくがん)により創建されたと伝わる。開基は観賢(かんげん)僧正。
ご利益
厄除け諸願成就
テーマ
高野山宿坊新西国三十三箇所
この場所を巡る軸
基本情報
住所
和歌山県伊都郡高野町高野山294
参拝時間
9時から17時ごろまで拝観でき、拝観料は無料です。宝亀院は宿坊としても営業しているため、時間が変わることがあります。訪ねる前に一度お寺に確認すると安心です。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
南海高野線「高野山駅」から南海りんかんバスに乗り、「金堂前」で下車後、徒歩約2分です。壇上伽藍(だんじょうがらん)から南へ下った西院谷(さいいんだに)と呼ばれる一角にあります。参拝者用の駐車場もあります。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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