
この寺について
品川宿の北、旧東海道を見下ろす台地に建つ臨済宗大徳寺派の寺院。寛永16年(1639)、3代将軍・徳川家光が沢庵宗彭を開山として建立した徳川将軍家の祈祷所。紫衣事件で流罪となっていた沢庵を家光が江戸に招き、その学徳に深く帰依して創建したという由緒を持つ稀有な禅刹。かつては塔頭17院を擁する大伽藍を誇り、多くの大名家の菩提所ともなった。現代では冲方丁『光圀伝』で徳川光圀が沢庵を訪ねる場面の舞台として登場し、再び注目を集めている。
歴史・由来
寛永16年(1639)、3代将軍・徳川家光の発願により、臨済宗大徳寺派の高僧・沢庵宗彭(1573-1646)を開山として創建された。品川宿の北の高台に大伽藍が建てられ、徳川将軍家の祈祷所として位置づけられた稀有な待遇の禅刹。
開山・沢庵宗彭は但馬国(=兵庫県北部)出雲村の生まれ。若くして京都・大徳寺の住持となる俊英であったが、寛永6年(1629)の紫衣事件(=幕府が天皇の紫衣勅許を制限したことに大徳寺・妙心寺の僧が抗議した事件)で幕府に抗議したため、出羽国(=山形県)上山に流罪となった。
寛永9年(1632)に赦免。江戸に戻った沢庵の学徳に深く帰依したのが3代将軍・徳川家光であった。家光は沢庵を将軍家の帰依僧として遇し、寛永16年(1639)に品川に東海寺を建立、沢庵を開山に招請した。以後、沢庵は当寺で家光と親しく法話を交わし、正保2年(1645)に「夢」の一字を残して示寂。享年73。境内に葬られ、現在も沢庵和尚の墓所(五輪塔)がある。
家光による将軍直願寺の格式を得た東海寺は、江戸中〜後期にかけて塔頭17院(玄性院・清光院・少林院・浄性院ほか)を擁する大伽藍を誇り、老中・大名家の菩提寺としても栄えた。しかし明治維新後の廃仏毀釈と塔頭の廃合、関東大震災(1923)、東京大空襲(1945)で往時の伽藍の多くを失った。現在は本堂と沢庵和尚の墓所、いくつかの塔頭が残る。
近年は冲方丁の歴史小説『光圀伝』(2012)で徳川光圀が若き日に沢庵を訪ねて禅問答をする場面が印象的に描かれ、東海寺と沢庵の名が改めて広く知られる契機となった。
見どころ・特徴
【本堂】昭和期に再建。往時の壮大な伽藍からは規模を縮小しているが、大徳寺派禅刹らしい落ち着いた佇まい。
【沢庵和尚墓所】境内にある沢庵宗彭の墓。素朴な五輪塔が緑陰の中に佇み、生前の沢庵の質素を尊ぶ禅風を静かに伝える。品川区指定史跡。「不生不滅」を体現する禅僧の墓として、参禅者・歴史ファンの参拝が絶えない。
【塔頭群】玄性院・清光院・少林院ほか、往時17院あった塔頭の一部が現存。江戸期の禅寺の伽藍構成の名残を体感できる貴重な地区。
【沢庵漬けと東海寺】沢庵が創案したとの伝承があり(諸説あり)、たくあん漬けの語源として当寺の名が挙げられる。境内で日々の食にたくあんを供したことに家光が感嘆し「これぞ沢庵漬けよ」と名付けたとする言い伝えが伝わる。真偽は別として、日本の食文化史に痕跡を残す稀有な禅寺である。
【冲方丁『光圀伝』ゆかり】平成24年(2012)刊行の冲方丁『光圀伝』では、若き日の徳川光圀が沢庵を訪ねて禅問答をする場面が印象的に描かれる。歴史小説を通じて当寺に興味を持ち訪れる旅人が近年増えている。作中の光圀と沢庵の対話に触れてから境内に立つと、江戸初期の空気が立ち上がってくるようで、読書と旅を結ぶ稀有な体験ができる。
【アクセス】JR・京急「新馬場(しんばんば)」駅北口から徒歩5分。品川宿の面影を残す旧東海道からも徒歩圏で、品川神社・荏原神社・東海寺をつなぐ「品川宿の禅と神」散策コースとしてもおすすめ。
学び・特徴
社格
徳川将軍家の祈祷所/臨済宗大徳寺派/江戸初期の代表的禅刹
創建
寛永16年(1639)、徳川家光開基、沢庵宗彭開山
ご利益
開運招福学業・合格
テーマ
江戸の名所禅寺大名菩提所文学ゆかり沢庵漬け発祥説禅
基本情報
住所
東京都品川区北品川3-11-9
参拝時間
境内自由(諸堂・墓所参拝は 9:00〜16:00 頃)
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR/京急「新馬場」駅北口から徒歩5分
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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