この神社について
南朝の忠臣・新田義興(にったよしおき)を祀る古社。正平13年(1358)、義興が多摩川の矢口の渡しで足利方の謀略に嵌って自害した悲劇の地に、里人が霊を鎮めるため建立したのが起源。以来「新田大明神」と称され、開運・厄除け・破魔の神として広く信仰を集めてきた。江戸中期には平賀源内が縁起物「矢守(やもり)」を考案し、これが今日の破魔矢の原型となったとされる稀有な破魔矢発祥の地。
歴史・由来
主祭神は新田義興(1331-1358)、鎌倉幕府を倒して南朝方の柱石となった新田義貞の次男。父の遺志を継いで足利尊氏率いる北朝と戦ったが、正平13年(北朝の延文3年、1358)10月10日、多摩川の矢口の渡しで足利基氏の重臣・畠山国清と江戸遠江守・竹沢右京亮の謀略にはめられ、渡し舟の底を抜かれて舟諸共に沈められた末に自害。享年28。
義興の非業の死の直後から、矢口の地には夜な夜な光り物が飛び交い、雷雨・落雷・疫病が続いたと伝わる。地元の人々は義興の怨霊を畏れ、また武勇に殉じた忠魂を悼んで、義興の亡骸を葬った塚の上に社殿を建立。これが新田神社の起源で、以来「新田大明神」と称された。
江戸時代を通じて広く庶民の崇敬を集め、特に厄除け・開運の神として篤い信仰を受けた。江戸中期の宝暦年間(1751-1764)、多才で知られる本草学者・戯作者・発明家の平賀源内(1728-1780)が当社を参拝し、境内の矢竹で「矢守(やもり)」と呼ばれる魔除けの縁起物を考案。これが後の破魔矢の原型になったとされ、当社は「破魔矢発祥の地」を称する。
昭和期には平賀源内作の浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」の舞台としても知られるようになり、義興の悲話と共に文芸的にも記憶される社となった。
見どころ・特徴
【御本殿】正平年間創建。江戸〜昭和にかけて数度の再建を経る。義興の霊を鎮める古社らしい静謐な佇まい。
【御塚(義興塚)】本殿裏手にある新田義興公の墓所。塚上の樹木には触れると祟りがあるとの言い伝えがあり、地元では「たたり塚」とも呼ばれる。畏敬の念をもって参拝を。
【破魔矢】当社が発祥とされる魔除けの縁起物。境内の矢竹を用いた「矢守」が今日の破魔矢の元祖。正月の授与品として全国から求める人が絶えない。授与所で通年入手可能。
【神霊矢口渡の碑】平賀源内が新田神社に取材して書いた浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」ゆかりの碑。江戸期の芸能史のなかで新田神社が果たした役割を伝える。
【御朱印】社務所で通年頒布。「新田大明神」の墨書に破魔矢の意匠を配した限定御朱印もある。
【アクセス】東急多摩川線「武蔵新田(むさしにった)」駅から徒歩3分。羽田空港からも15分圏で、フライト前後の立ち寄り参拝におすすめ。多摩川沿いの矢口渡跡(碑)と併せて訪ねると、義興公の悲劇の現場を体感できる。
学び・特徴
主祭神
新田義興
社格
大田区矢口の総鎮守/破魔矢発祥の地とされる古社
創建
正平13年(1358)、新田義興の霊を祀る里人により創建
ご利益
厄除け開運招福勝負運
テーマ
南朝ゆかり破魔矢発祥江戸の名所御霊信仰
基本情報
住所
東京都大田区矢口1-21-23
参拝時間
境内自由(社務所は 9:00〜16:00 頃)
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
東急多摩川線「武蔵新田」駅から徒歩3分
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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