TabiShiri
城 君津市

久留里城

くるりじょう

この城について
通称「雨城(うじょう)」。続日本100名城・第123番。上総国の戦略的要衝に築かれた山城。社伝によれば、平安末期、上総介広常の築城が起源。戦国期は真里谷武田氏(まりやつたけだし)・後の安房里見氏の支配下に。

歴史・由来

上総国の戦略的要衝に築かれた山城。続日本100名城・第123番。 社伝によれば、平安末期、上総介広常(かずさのすけひろつね、=源頼朝 関連の御家人)の築城が起源と伝わる。 戦国期、真里谷武田氏(まりやつたけだし、=甲斐武田氏の分家、上総に下向)の支配下、後に安房里見氏(=戦国の名家、南総里見八犬伝の里見氏)が掌握。 **永禄7年(1564) 「久留里の籠城戦」**=第二次国府台合戦の後、相模の北条氏康・氏政父子が約2万の大軍を率いて久留里城を包囲。城主・里見義堯(さとみよしたか、1507-1574、=戦国の名将、安房里見氏中興の祖)と嫡男・義弘が約8,000の兵で篭城。**約4ヶ月にわたり守り抜き、北条軍を撃退した**稀有な不落の堅城。 「雨城」=城内に「三日に一度は必ず雨が降る」と言われた稀有な異名。籠城戦に必要な水が、雨と湧水で絶えず確保されたことに由来する稀有な伝承の城。 「男井戸・女井戸(おいど・めいど)」=山頂近くに湧き出る二つの井戸が、籠城戦の生命線。「井戸の水位が変わると気候が変わる」とされる稀有な伝承が残る。 江戸期、徳川幕府の譜代大名・大須賀氏→土屋氏→黒田氏が城主を務めた久留里藩(=2万石)の藩庁。明治初年に廃城。 「久留里城跡」=現在は君津市の市民の森として整備。

見どころ・特徴

JR久留里線「久留里」駅から徒歩約30分(または車)。千葉県君津市、房総半島中央の山中。 「模擬天守」(昭和54年/1979再建)=三層四階の現代の模擬天守、城跡のシンボル。 「男井戸・女井戸」=山頂近くに湧き出る二つの井戸。籠城戦の生命線、現代も湧水が見られる稀有な遺構。 「久留里城址資料館」=城跡内の博物館、里見氏の歴史と籠城戦の遺品を展示。 「久留里の名水」=城下町に湧き出る名水、平成の名水百選。久留里街道沿いの井戸めぐりが現代の楽しみ。 「桜」(4月)の名所、城跡の桜が春の絶景。 近隣の養老渓谷、亀岩の洞窟と組み合わせて、房総中央の自然と歴史を堪能できる。
基本情報
住所
千葉県君津市久留里455
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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