TabiShiri
寺 御朱印真言宗智山派・武蔵野三十三観音霊場第8番札所 東大和市

圓乗院

えんじょういん

別名:愛宕山 圓乗院(あたごさん えんじょういん)、円乗院

この寺について
愛宕山(あたごさん)と号する真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の寺で、武蔵野三十三観音霊場の第8番札所です。東大和市狭山、狭山丘陵の南のふもとにあり、本尊は不動明王(ふどうみょうおう)。江戸時代中期の鐘楼門(しょうろうもん)が今も山門として残っています。

歴史・由来

【山の名に残る引っ越しの歴史】 圓乗院を理解する鍵は、「愛宕山」という山号です。この名は、寺が一度大きく場所を移したことを今に伝えています。 【延寿院から圓乗院へ】 寺の縁起によると、寺はもともと「延寿院(えんじゅいん)」と呼ばれ、薬師如来(やくしにょらい)を本尊としていたことから「医王寺(いおうじ)」とも呼ばれていました。開山(かいさん)は平治元年(1159)に亡くなった賢誉法印(けんよほういん)と伝えられ、平安時代の終わりごろにさかのぼる寺とされています。慶長12年(1607)8月、大風で建物が倒れたため、狭山丘陵の南の峰にあたる現在地へ移りました。この地に古くからまつられていた愛宕大権現(あたごだいごんげん)を寺の守り神とし、山号を「愛宕山」、院号を「圓乗院」と改めたといいます。 【江戸時代の記録】 江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』には、石神井村(しゃくじいむら)の三寶寺(さんぽうじ)の末寺と記されています。三寶寺は現在、武蔵野三十三観音霊場の第3番札所で、巡礼の道すじの上でもつながりのある寺です。寛延2年(1749)には鐘楼門が建てられました。 【地域の学びと語らいの場】 地元の記録によると、明治6年(1873)には、この地域で最初の小学校となる竭力学舎(かつりきがくしゃ)が寺で開かれ、明治14年(1881)には自由民権運動の集まり「狭山自由懇親会」が開かれました。寺は信仰の場であると同時に、村の人々が学び、語り合う場所でもありました。 【焼失と再建】 明治18年(1885)12月の火事で本堂や庫裡(くり)、古い記録が焼けてしまいましたが、戦後に本堂が建て直され、昭和48年(1973)と昭和54年(1979)にも庫裡と本堂が再建されて、今の姿になりました。

見どころ・特徴

【鐘楼門】寛延2年(1749)に建てられたとされる、鐘つき堂をかねた山門です。東大和市内でいちばん古い鐘楼門といわれています。 【徳治の板碑】徳治2年(1307)の年号が刻まれた緑泥片岩(りょくでいへんがん)の板碑(いたび)が伝わっています。市内でも古い年号をもつ石造物です。 【愛宕大権現の石灯籠】享保3年(1718)に寄進された石灯籠があり、寺の守り神である愛宕大権現への祈りを伝えています。 【狭山丘陵の巡礼道】武蔵野三十三観音霊場の巡礼では、緑の多い狭山丘陵を歩いて札所をめぐります。
学び・特徴
主祭神
不動明王
社格
真言宗智山派・武蔵野三十三観音霊場第8番札所
創建
平安時代末期と伝わる(寺伝。開山賢誉法印は平治元年〈1159〉寂)。慶長12年(1607)に現在地へ移転
テーマ
武蔵野三十三観音霊場
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都東大和市狭山3-1354
アクセス
西武多摩湖線「武蔵大和」駅から徒歩約15分。
公式サイト
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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