この神社について
奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇の詔(みことのり)により全国に建てられた国分寺・国分尼寺のひとつ、信濃国分尼寺の跡。現在は「国分寺史跡公園」として整備され、僧寺(信濃国分寺)と尼寺の遺構が並んで残る、全国的にも珍しい例として知られる。
歴史・由来
信濃国分尼寺跡を理解する鍵は、ここがかつて実際に使われていた寺院ではなく、奈良時代の寺院の跡地であることだ。
天平13年(741)、聖武天皇(しょうむてんのう)の詔により、国の安泰を祈って全国に国分寺(僧寺)と国分尼寺が建てられることになった。信濃国分尼寺もそのひとつで、隣接する信濃国分寺(僧寺)とあわせて、8世紀後半(770年ごろ)までに整備されたとみられている。
寺伝によれば、天慶元年(938)の争乱で焼失したと伝わり、発掘調査でも10世紀ごろに衰えた痕跡が確認されている。その後、尼寺としての姿は失われ、金堂・講堂・中門・回廊・経蔵・尼房などの建物跡だけが地中に残ることになった。
昭和38年から46年(1963〜1971)にかけての発掘調査で、これらの遺構がまとまって見つかり、僧寺と尼寺が並んで配置された全国でも珍しい例であることが分かった。すでに昭和5年(1930)に国指定史跡となっていた信濃国分寺跡の指定範囲は、この調査結果を受けて尼寺跡を含む形に広げられた。
見どころ・特徴
【国分寺史跡公園】僧寺跡・尼寺跡を含む約5.5ヘクタールの公園として整備されている。ケヤキの大木や、160メートルにおよぶドウダンツツジの列植、樹齢120年を超える藤棚など、四季それぞれの植栽も見どころ。
【信濃国分寺資料館】発掘で見つかった瓦や仏具などの出土品を展示する資料館が隣接する。全国でも珍しい、瓦を焼いた窯の跡を観察できる施設もある。
【訪ねかた】遺構は建物の基礎(礎石など)が残る形で公開されており、当時の伽藍(がらん)の規模を地面の上から想像しながら歩ける。隣接する信濃国分寺(現在も天台宗の寺院として続く、既存の別レコード)とあわせて訪ねると、奈良時代の寺院がどのように今に引き継がれたかがよく分かる。
学び・特徴
社格
国指定史跡(昭和5年・1930年指定。後の発掘調査を受けて尼寺跡を含む範囲に拡大)。
創建
天平13年(741)、聖武天皇の詔により、全国の国分寺・国分尼寺のひとつとして建立されたと伝わる。8世紀後半(770年ごろ)までに伽藍が整ったとみられる。
テーマ
史跡
基本情報
住所
長野県上田市国分1105
アクセス
しなの鉄道「信濃国分寺」駅から徒歩約5分。車の場合、上信越自動車道上田菅平ICから約6キロメートル(約15分)。隣接する信濃国分寺資料館(9時から17時、最終入館16時30分。水曜・祝日の翌日・年末年始休館、大人250円)で出土品の展示を見学できる。史跡公園の屋外部分の見学時間は資料館(電話0268-27-8706)へ確認するとよい。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
訪問記録
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