この寺について
平安時代前期の念仏聖(ねんぶつひじり)・教信(きょうしん)が、賀古(かこ)の駅(現在の加古川市野口町)に庵を結んだのが始まりと伝わる古寺です。教信は生涯、念仏を唱えながら旅人の荷運びや農作業の手伝いをして暮らし、後世の親鸞(しんらん)や一遍(いっぺん)からも念仏者の模範として仰がれました。新西国三十三観音霊場第4番札所でもあります。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、開山・教信(きょうしん、781年-866年)その人の生き方にある。教信は奈良の興福寺で学んだ僧でしたが、寺院の中で学問を積む暮らしに満足できず、16歳で寺を出て諸国を行脚しました。40年余りの後、賀古(かこ、現在の加古川市野口町)にたどり着き、庵を結びます。そこでの暮らしは、称名念仏(しょうみょうねんぶつ、「南無阿弥陀仏」と口に出して唱える念仏)に明け暮れながら、西国街道を行く旅人の荷物運びや、地元の農作業を手伝うというものでした。
貞観8年(866年)に教信が亡くなったのち、その生き方は後世の念仏者に大きな影響を与えます。浄土真宗の開祖・親鸞は「われは賀古の教信沙弥(きょうしんしゃみ)の定(じょう)なり」、つまり自分は教信の生まれ変わりのようなものだ、と語ったと伝えられ、時宗の開祖・一遍もまた教信を篤く敬いました。
寺伝によれば、教信の庵の跡に清和天皇の勅願で伽藍が整えられて「観念寺」となり、大治元年(1126年)に崇徳天皇によって「念仏山教信寺」と改められたといいます。室町時代には大きな伽藍を持つ寺へと発展しましたが、天正6年(1578年)、羽柴秀吉による三木城攻めの戦乱に巻き込まれて全焼しました。その後の再興時期については情報源によって差があり、加古川市の文化財解説では元和年間(1615年-1623年)、他の資料では寛永19年(1642年)とされています。現在の本堂は明治13年(1880年)に移築されたものと伝わります。
境内の開山堂には、教信の頭部だけを刻んだ「沙弥教信頭像」が本尊として祀られており、康正2年(1456年)に修理された記録が像内に残ります。この像は兵庫県の指定文化財です。
見どころ・特徴
【教信上人を偲ぶ開山堂】
境内の開山堂には、教信の頭部のみを表した珍しい彫刻「沙弥教信頭像(しゃみきょうしんずぞう)」が本尊として祀られています。兵庫県指定文化財で、像内には室町時代(康正2年・1456年)の修理の記録が残っています。
【教信上人の墓と伝わる五輪塔】
境内には石造の五輪塔(ごりんとう)があり、教信上人の墓塔と伝えられています。こちらも兵庫県の指定文化財です。境内一帯は平安時代からの史跡として加古川市の指定を受けています。
【春は桜の名所】
加古川観光協会によれば、春には境内が満開の桜に彩られ、多くの人が訪れる花見の名所としても知られています。
【拝観は無料】
拝観料はかからず、気軽に立ち寄ることができます。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来
社格
新西国三十三観音霊場第4番札所
創建
平安時代前期、念仏聖・教信(781年-866年)が賀古の駅(現在の加古川市野口町)に庵を結んだのが始まりと伝わる。寺伝では、その後清和天皇の勅願で伽藍が整い「観念寺」となり、大治元年(1126年)に崇徳天皇が「念仏山教信寺」と改めたとされる。
テーマ
霊場・巡礼
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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