TabiShiri
寺 あきる野市

大悲願寺

だいひがんじ

別名:金色山吉祥院大悲願寺(こんじきさんきちじょういんだいひがんじ)

この寺について
あきる野市横沢にある真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)のお寺です。寺の伝えでは、建久(けんきゅう)2年(1191年)に源頼朝(みなもとのよりとも)の命を受けた武将・平山季重(ひらやますえしげ)が建てたとされます。観音堂の仏像は国の重要文化財で、秋には境内の白萩(しらはぎ)が咲きそろいます。伊達政宗(だてまさむね)が白萩の株分けを頼んだ手紙も残されています。

歴史・由来

この寺を理解する鍵は、「鎌倉の武士と伊達政宗、二人の武将が関わった寺」という点にあります。 【平山季重と寺の始まり】寺の伝えによれば、建久2年(1191年)、源頼朝の命を受けた武蔵国(むさしのくに)の武将・平山季重が寺を開いたとされます。季重は源平の合戦で活躍した武士として知られています。 【江戸幕府との関わり】江戸時代には、江戸幕府から朱印状(しゅいんじょう、寺の領地を認める文書)を与えられていました。 【伊達政宗と白萩】仙台藩の初代藩主・伊達政宗は、この寺を訪れて境内の白萩の美しさに心を打たれ、のちに株分けを頼む手紙を寺に送ったと伝わります。この手紙は「白萩文書(しらはぎもんじょ)」と呼ばれ、ほかの古文書とあわせて「大悲願寺文書」として東京都の文化財に指定されています。 【寺に伝わる説】江戸時代のはじめに住職を務めた秀雄(しゅうゆう)は、政宗の弟だったという説も伝わっています。ただし、史料ではっきり確かめられているわけではありません。 【今に残る建物】本堂は東京都、観音堂・仁王門(におうもん)・中門(ちゅうもん)はあきる野市の文化財に指定されており、江戸時代の建物がまとまって残っています。

見どころ・特徴

【観音堂の三尊像】観音堂には、平安時代後期から鎌倉時代前期に作られた「木造伝阿弥陀如来及脇侍千手観世音菩薩・勢至菩薩坐像(もくぞうでんあみだにょらいおよびきょうじせんじゅかんぜおんぼさつ・せいしぼさつざぞう)」が祀られています。国の重要文化財で、ふだんは扉が閉じられています。 【観音堂の彫刻】観音堂は「無畏閣(むいかく)」とも呼ばれ、軒まわりの色あざやかで細かな彫刻が見事です。 【本堂】東京都の有形文化財に指定されている建物です。 【仁王門と天井絵】仁王門(楼門)の天井には絵が描かれていて、あきる野市の文化財に指定されています。 【白萩】秋になると境内に白萩が咲きそろいます。伊達政宗が株分けを願ったと伝わる花です。 【梵鐘と経筒】梵鐘(ぼんしょう)や六角宝幢式経筒(ろっかくほうどうしききょうづつ)など、市の文化財に指定された品が多く伝わっています。 【あきる野百景】あきる野市の「あきる野百景」の第42番に選ばれています。
年中行事・お祭り
【節分会】例年2月3日 春を迎える節分の行事です。 【観音堂の開帳】例年4月21日・22日 国の重要文化財の三尊像を祀る観音堂の扉が開かれます。 【白萩の見ごろ】例年9月中旬から10月 境内の白萩が咲きそろいます。咲きぐあいは年によって変わります。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
大日如来
社格
真言宗豊山派/木造伝阿弥陀如来及脇侍千手観世音菩薩・勢至菩薩坐像(国重要文化財、昭和3年〈1928〉指定)/本堂(東京都指定有形文化財)
創建
寺伝では建久2年(1191年)、源頼朝の命により平山季重が開いたと伝わる。
テーマ
花重要文化財武将ゆかり
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都あきる野市横沢134
アクセス
JR五日市線「武蔵増戸駅」から徒歩約15分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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