TabiShiri
寺 御朱印 熊谷市

文殊寺

もんじゅじ

別名:五台山文殊寺(ごだいさんもんじゅじ)、野原の文殊さま

この寺について
埼玉県熊谷市の野原(のはら)にある曹洞宗(そうとうしゅう)の寺。知恵をつかさどる文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を本尊とし、「野原の文殊さま」「知恵の文殊寺」と呼ばれて親しまれています。寺では、京都・天橋立の切戸(きれと)文殊、山形の亀岡(かめおか)文殊と並ぶ「日本三体文殊」の一つと伝えます。毎年2月25日の大縁日には秘仏の本尊が開帳され、学業成就を願う受験生をはじめ約1万2千人が訪れます。

歴史・由来

文殊寺の歴史をたどる鍵は、「焼けては建て直す」ことの繰り返しにあります。 この寺のはじまりは、天台宗の古刹「五台山能満寺(ごだいさんのうまんじ)」でした。ところが文明十三年(1481)、能満寺は全山を焼き尽くす火にあいます。当時の関東は、文明八年(1476)に起きた長尾景春(ながおかげはる)の乱をきっかけに上杉氏と長尾氏の戦いが続いており、能満寺もその戦火に巻き込まれたと考えられています。 焼け跡を建て直したのが、比企郡高見(ひきぐんたかみ)の高見城主・増田四郎重富(ますだしろうしげとみ)でした。重富が高見城へ移ったのは文明十年(1478)のこと。文明十五年(1483)、寺は曹洞宗の寺として生まれ変わり、「五台山文殊寺」と名を改めます。開山に迎えられたのは崇芝性岱(そうししょうたい)大和尚。石雲院(せきうんいん)で三百人を超える弟子を育てた高僧でしたが、実際に東国へ下って寺を開いたのは、その直弟子である季雲永岳(きうんえいがく)でした。重富は長享元年(1487)に、性岱は明応五年(1496)に世を去ります。 天正十八年から十九年(1590〜91)、豊臣秀吉の小田原攻めのあと徳川家康が関東に入ると、文殊寺は朱印状(しゅいんじょう)二十石を与えられました。江戸時代を通じて多くの末寺(まつじ)を従える大きな寺でしたが、寛文八年(1668)と元禄元年(1688)の本末(ほんまつ)争いに敗れ、末寺百二十か寺を失います。 そして火はふたたび襲いました。文政十一年(1828)に本堂と庫裏(くり)が焼け、天保九年から十二年(1838〜41)にかけて本堂が建て直されます。昭和十一年(1936)にもまた焼け、いまの本堂は昭和三十三年(1958)のものです。江戸と昭和の二度の大火をくぐり抜けて残ったのが、朱塗りの仁王門(におうもん)でした。 平成十二年(2000)には開山堂が新しく建てられ、性岱の五百回忌が営まれました。

見どころ・特徴

【獅子に乗る文殊菩薩】本尊の文殊師利大菩薩(もんじゅしりだいぼさつ)は、獅子の上に座る姿をしています。ふだんは厨子(ずし)に納められた秘仏(ひぶつ)で、拝めるのは2月25日の大縁日だけ。室町時代の作と伝わります。獅子の左うしろ足が欠けているのは、昔いたずらをした獅子の足を和尚が切ったからだ——そんな言い伝えが残っています。 【二度の大火を生き延びた仁王門】朱塗りの山門は、江戸時代中期の建築と推定されています。江戸と昭和、二度の火事で境内の建物が失われるなか、唯一焼け残った建物で、昭和32年10月18日に熊谷市の指定有形文化財(建造物)になりました。 【鐘楼門】山門と本堂のあいだに立つ二階建ての門で、明治三十四年(1901)の再建です。 【本堂の天井】いまの本堂は昭和三十三年(1958)に、観音堂の一部を移して建てられました。天井の格子絵(ごうしえ)に、前の建物のなごりを見ることができます。 【芭蕉の句碑と俳人の碑】境内には芭蕉翁塚と、文化十三年(1816)に建てられた芭蕉翁碑があります。熊谷ゆかりの俳人・金子兜太(かねことうた)の句碑も立ちます。 【開基と歴代住職の墓塔】この寺を建て直した増田四郎重富の五輪塔(ごりんとう)が残り、そのそばには開山以来五百年ぶんの歴代住職の墓塔が並びます。ほかに聖徳太子の塔、地蔵菩薩半跏像(はんかぞう)、八菩薩像なども伝わります。 【境内の四季】春は桜・藤・つつじが次々に咲き、夏はカッコウやホトトギスの声が聞こえます。秋はクヌギ林の紅葉、そして冬から早春にかけては梅の香りが境内にただよいます。大縁日の2月25日は、ちょうど梅が咲きはじめる時季です。
年中行事・お祭り
【文殊尊初詣】例年1月1日から8日 ご祈祷は1月8日まで毎日受け付けています。9日以降は1月末まで土曜・日曜のみ。お守りは3日まで授与所で授かれます。 【文殊尊大縁日】例年2月25日 一年でいちばんの大きな縁日です。ふだんは見られない秘仏の文殊菩薩が開帳され、本堂では諸願成就のご祈祷が営まれます。「智恵袋」や合格お守りが授与され、境内には50店以上の露店が並びます。例年およそ1万2千人が訪れます。 【除夜の鐘】12月31日 新型コロナウイルスへの対応で中止されたままになっています。再開しているかは公式サイトでご確認ください。 このほか、春季彼岸会(3月18日から24日)、盆供(7月10日)、山門大施食会(8月10日)、秋季彼岸会(9月20日から26日)、歳暮参り(12月25日)が営まれます。これらは檀家向けの行事です。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
文殊菩薩
社格
曹洞宗。山号は五台山(ごだいさん)。通称は「野原の文殊さま」。京都・天橋立の切戸文殊、山形の亀岡文殊とともに「日本三体文殊」の一つと伝えます。江戸時代には徳川家から朱印状二十石を与えられ、末寺を多く従える大きな寺でした。
創建
前身は天台宗の古刹「五台山能満寺」。文明十三年(1481)に焼失し、その2年後の文明十五年(1483)、比企郡高見の高見城主・増田四郎重富が曹洞宗の寺として再建、五台山文殊寺と改めました。開山は崇芝性岱大和尚、実際に寺を開いたのはその直弟子の季雲永岳です。
ご利益
学業・合格知恵心願成就家内安全
テーマ
禅寺梅・花文化財祭り
この場所を巡る軸
基本情報
住所
埼玉県熊谷市野原623
参拝時間
受付時間は午前8時30分から午後4時30分まで。 お守りは、正月の期間は授与所で、それ以外の時期は本堂で授かれます。 ご祈祷は本堂で受け付けています。正月は1月1日から8日まで毎日、9日以降は1月末まで土曜・日曜に行われ、午前8時30分から受付、午前9時から1時間ごとに勤められます。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【バス】JR高崎線・秩父鉄道の熊谷駅南口から国際十王交通バス。「森林公園駅」行きに乗って「文殊様」バス停下車、または「立正大学」行きに乗って「立正大学」バス停下車です。 【車】関越自動車道の東松山インターチェンジから約10キロメートル。 2月25日の大縁日は1万人を超える参拝者が訪れ、周辺はたいへん混み合います。この日はバスでのお参りが安心です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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