この寺について
真言宗智山派の寺院。正式名は「福聚山善應寺普門院」といい、大永2年(1522年)の創建。亀戸天神社のほど近くに位置し、御府内八十八カ所第40番札所(本尊・大日如来)と亀戸七福神第5番(毘沙門天)の二つの霊場を兼ねる。歌人・伊藤左千夫の墓があることでも知られる。
歴史・由来
この寺を読み解く鍵は、「移転に伴う伝説」と「二つの信仰の合流」にある。
大永2年(1522年)、武蔵国豊島郡三原(現・東京都豊島区付近)にあった千葉自胤の城中で創建された。寺号の「普門院」は観世音菩薩の別名「普門」に由来する。
元和2年(1622年)、現在の亀戸の地へ移転した。このとき釣鐘を船で隅田川を渡らせて運ぼうとしたところ、川の中に沈んでしまったという。この伝承が、現在の墨田区にある地名「鐘ヶ淵」の由来になったと伝えられている。
慶安2年(1649年)には三代将軍・徳川家光がこの地に立ち寄り、5石の朱印状を拝領している。幕府の庇護を受けた格式ある寺院として江戸時代を通じて栄えた。
本尊はもともと聖観世音菩薩であったが、安永年間(1772〜1781年)に栄範上人が大日如来に改めた。これにより「御府内八十八カ所」(江戸の弘法大師巡礼)の第40番札所に加わり、真言宗の霊場としての性格を強めた。江戸末期から明治にかけては、亀戸七福神の毘沙門天も祀る寺となり、二種の霊場が重なる場所として現在に至る。
見どころ・特徴
【伊藤左千夫の墓】
正岡子規の弟子で「野菊の墓」の作者として知られる歌人・伊藤左千夫(1864〜1913)の墓がある。左千夫は亀戸で牛乳業を営みながら短歌・小説に情熱を注いだ人物で、命日(8月20日)前後には関係者が集まる。
【大島伯鶴の歌碑】
江戸の大名お抱えの長唄・三味線の名手として知られた大島伯鶴の歌碑が境内に残る。
【御府内八十八カ所第40番・亀戸七福神第5番】
弘法大師ゆかりの江戸の真言宗88か寺を巡る「御府内八十八カ所」と、亀戸地区の七福神を巡る「亀戸七福神」の二つの霊場が重なる寺院。御朱印は直書き対応(御朱印帳持参を推奨。郵送・御朱印帳の販売なし)。
【亀戸天神社との組み合わせ】
梅・藤の名所として知られる亀戸天神社と距離約165mという近さ。七福神めぐりや御府内八十八カ所巡礼に合わせて立ち寄る参拝者が多い。
年中行事・お祭り
学び・特徴
主祭神
大日如来毘沙門天
社格
御府内八十八カ所第40番(本尊・大日如来)、亀戸七福神第5番(毘沙門天)
創建
大永2年(1522年)、武蔵国豊島郡三原の千葉自胤城中で創建。元和2年(1622年)に現在地(亀戸)へ移転。
ご利益
開運招福厄除け金運
テーマ
七福神霊場巡り
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
東京都江東区亀戸3-43-3
アクセス
JR総武線・東武亀戸線「亀戸」駅から徒歩約12分。東京メトロ半蔵門線「錦糸町」駅から徒歩約20分。亀戸天神社のすぐ近く(徒歩約2分)。専用駐車場なし。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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