この寺について
愛染院(あいぜんいん)は、新宿区若葉にある真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)のお寺です。山号は獨鈷山(どっこざん)、寺号は光明寺(こうみょうじ)。本尊は大日如来(だいにちにょらい)で、御府内八十八ヶ所霊場(ごふないはちじゅうはちかしょれいじょう)の第18番札所です。墓所には、内藤新宿(ないとうしんじゅく)の開設を願い出た高松喜六(たかまつきろく)と、『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』を編んだ国学者の塙保己一(はなわほきいち)の墓があり、どちらも新宿区の指定史跡になっています。
歴史・由来
愛染院を理解する鍵は、江戸のまちが広がるにつれて場所を移しながら、このあたりの歴史を見守ってきたお寺だという点です。
【はじまり】寺伝(じでん=お寺に伝わる由来)では、弘法大師(こうぼうだいし)が麻布(あざぶ)に善福寺(ぜんぷくじ)を開き、愛染院はその内院(ないいん)だったと伝えられます。のちに京都の稲荷山(いなりやま)の小さな愛染明王(あいぜんみょうおう)の像を祀るようになったとされ、加藤清正(かとうきよまさ)がこの像を持って出陣したという言い伝えもあります。開創は弘仁(こうにん)年間(810〜824年)とする説のほか、慶長(けいちょう)16年(1611)に正斎(しょうさい)が麹町貝塚(こうじまちかいづか)で中興(ちゅうこう=おとろえた寺を再び盛んにすること)したことをはじまりとする見方も紹介されています。
【移転】寛永(かんえい)11年(1634)、江戸城の外堀(そとぼり)の工事にともなって、現在の若葉の地に移りました。
【火災と再建】1703年と1868年の火災、1945年の戦災で被害を受けました。現在の本堂は1960年(昭和35年)に再建されたものです。
【内藤新宿とのつながり】江戸時代に甲州街道(こうしゅうかいどう)の宿場として開かれた内藤新宿は、現在の「新宿」という地名のもとになりました。その開設を元禄(げんろく)時代に幕府へ願い出た高松喜六の墓が、愛染院にあります。高松喜六は1713年に亡くなりました。また、『群書類従』を編んだ国学者の塙保己一(1746〜1821年)の墓もあります。二人の墓は、いずれも新宿区の指定史跡です。
見どころ・特徴
【高松喜六(たかまつきろく)の墓】内藤新宿(ないとうしんじゅく)の開設を願い出た高松喜六の墓です。新宿区の指定史跡で、昭和59年(1984)7月6日に指定されました。
【塙保己一(はなわほきいち)の墓】目が不自由でありながら『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』の編纂(へんさん)をなしとげた国学者・塙保己一の墓です。新宿区の指定史跡で、昭和59年(1984)11月2日に指定されました。
【梵鐘(ぼんしょう)】境内の梵鐘は、新宿区の登録有形文化財(工芸品)です。令和7年(2025)2月7日に登録されました。
【訪ねかた】境内は檀信徒(だんしんと)の方々のお墓がある静かな場所です。お参りの際は、掲示や寺の方の案内に従って、静かにお過ごしください。
学び・特徴
本尊
大日如来(だいにちにょらい)
宗派・寺格
真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺院。山号は獨鈷山(どっこざん)、寺号は光明寺(こうみょうじ)。御府内八十八ヶ所霊場(ごふないはちじゅうはちかしょれいじょう)の第18番札所。
創建
寺伝では弘仁(こうにん)年間(810〜824年)に弘法大師が開いたと伝わります。慶長(けいちょう)16年(1611)に正斎(しょうさい)が麹町貝塚(こうじまちかいづか)で中興し、寛永(かんえい)11年(1634)に現在地へ移りました。
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
記念メダル
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参拝記録
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