TabiShiri
寺日蓮宗/身延山久遠寺の末寺(もとは碑文谷法華寺の末寺) 大田区

円長寺

えんちょうじ

この寺について
東京都大田区、東急池上線の雪が谷大塚(ゆきがやおおつか)駅から歩いて10分ほどの住宅街にある日蓮宗のお寺です。山号は照光山(しょうこうざん)。江戸時代のはじめ、元和二年(1616)の創建と伝わります。観光のためのお寺ではありませんが、江戸幕府の宗教弾圧に巻き込まれて本寺が入れ替わったという、日蓮宗の歴史を映す由緒をもっています。

歴史・由来

このお寺の歴史を知る鍵は、「どのお寺に属していたか」が途中で変わったことです。 円長寺が開かれたのは元和二年(1616)の八月。開山(かいさん。お寺を開いた僧)は常照院日豊(じょうしょういんにちほう)で、寛永七年(1630)六月六日に亡くなったと、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』に記されています。 もとは碑文谷(ひもんや。現在の目黒区)にあった法華寺(ほっけじ)の末寺(まつじ。本山に属するお寺)でした。ところが元禄十二年(1699)、その法華寺が幕府ににらまれます。原因は「不受不施派(ふじゅふせは)」という立場でした。法華経を信じない人からは布施を受けない、法華経を信じない人には施しをしない、という日蓮宗の中の厳しい考え方で、相手が幕府であっても例外を認めませんでした。幕府はこれを禁じ、法華寺は日蓮宗の寺であることをやめさせられて、天台宗の円融寺(えんゆうじ)に改められてしまいます。 本寺を失った円長寺は、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の末寺に移ることになりました。信仰のかたちをめぐる対立が、住宅街の一つの寺の所属にまで及んでいたわけです。 『新編武蔵風土記稿』には、当時の境内のようすも書かれています。五間に六間の客殿、正徳二年(1712)の銘がある鐘楼(しょうろう)、三十番神(さんじゅうばんじん。法華経を守るとされる三十の神)をまつるお堂。さらに墓地には古い碑があり、かろうじて「元亨(げんこう)」の二字が読めた、とあります。元亨は1321年から1324年、鎌倉時代の年号です。お寺が開かれるより三百年ほど古く、この土地に早くから人の営みがあったことをうかがわせます。ただし、これらが今も残っているかどうかは確認できていません。

見どころ・特徴

【住宅街の静かな寺】観光のためのお寺ではなく、地元の檀家(だんか)の人たちがお参りする普段づかいのお寺です。特別公開のような催しは見当たらず、参拝そのものは数分で終わります。それでも、江戸時代の宗教弾圧が一つの寺の所属まで変えてしまった歴史を頭に入れて立つと、見え方が変わる場所です。 【江戸時代の記録に残る境内】『新編武蔵風土記稿』には、正徳二年(1712)の銘がある鐘楼と、三十番神をまつるお堂があったと記されています。現在も残っているかは確認できていません。 【墓地の古碑】同じ江戸時代の記録に、墓地に「元亨(1321〜1324年)」の二字が読める古い碑があったと書かれています。お寺の創建より三百年ほど古いものです。こちらも現存は未確認です。
学び・特徴
主祭神
三宝祖師
社格
日蓮宗/身延山久遠寺の末寺(もとは碑文谷法華寺の末寺)
創建
元和二年(1616)八月の創建と伝わる。開山は常照院日豊(寛永七年〈1630〉示寂)。
基本情報
住所
東京都大田区南雪谷5-5-20
アクセス
【電車】東急池上線「雪が谷大塚」駅から徒歩約10分。 【駐車場】有無を確認できていません。住宅街の中にあるお寺なので、電車で訪ねるのが無難です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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