この寺について
三軒茶屋(さんげんぢゃや)の駅からすぐの場所にある天台宗(てんだいしゅう)の寺。正式には竹園山(ちくえんざん)最勝寺(さいしょうじ)教学院という。本堂の本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)だが、この寺が広く知られているのは不動堂にまつられた「目青不動(めあおふどう)」のほうで、通称もそちらで呼ばれる。江戸の町を守るために五か所に置かれたと伝わる「江戸五色不動(えどごしきふどう)」のひとつ。関東三十六不動霊場(れいじょう)の第16番札所(ふだしょ)でもある。境内には小田原城主だった大久保(おおくぼ)家歴代の墓がある。
歴史・由来
【この寺を理解する鍵】
教学院を訪ねると、少し戸惑うかもしれない。「目青不動」の名で知られているのに、本堂に座っているのは不動明王ではなく阿弥陀如来なのだ。実はこの二つは、もともと別の寺のものだった。名前と中身がずれているように見えるのは、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で消えた寺の仏像が、ここに引き取られたからである。この寺の歴史は、江戸から東京へ変わるときに何が起きたかの記録でもある。
【江戸城のなかから始まった寺】
寺伝によれば、この寺は江戸城の紅葉山(もみじやま)のあたりに建てられたのが始まりだという。創建の年には二つの説がある。応長(おうちょう)元年(1311年)に玄応(げんおう)和尚が開いたという説と、慶長(けいちょう)9年(1604年)に同じく玄応大和尚が開いたという説である。三百年近く離れているので、どちらかは誤りか、あるいは前身の寺と再興を別に数えているのだろう。寺の公式サイトは創建年を明記していない。
その後、麹町(こうじまち)貝塚、赤坂三分坂(さんぷんざか)と移り、やがて青山南町に広い土地をもらって移った。江戸時代を通じて上野の寛永寺(かんえいじ)の末寺(まつじ)であり、貞享(じょうきょう)4年(1687年)には小田原城主・大久保加賀守(かがのかみ)の菩提寺(ぼだいじ)となって、寺は栄えた。
【目青不動がやってきた日】
明治15年(1882年)、麻布谷町(あざぶたにまち)にあった観行寺(かんぎょうじ)という寺が廃寺になった。明治政府の宗教政策のなかで、多くの寺が同じ運命をたどった時期である。そのとき、観行寺の本尊だった不動明王像が、青山にあったこの教学院へ移された。これが今「目青不動」と呼ばれている像である。つまり目青不動は、もとからこの寺の仏ではない。廃寺から救い出された仏なのだ。
そして明治41年(1908年)、教学院自身も青山から現在の太子堂へ移ってきた。仏も寺も、東京の都市改造のなかで動かされ続けた。
【五色不動という呼び名】
江戸には「目黒」「目白」「目赤」「目青」「目黄」の五つの不動尊があり、徳川家が江戸を守るために五か所に置いたのが始まりと伝えられている。「目黒」「目白」が今も地名や駅名として残っているのは、その名残である。
ただし、なぜ色が付いているのかは、はっきりしていない。江戸東京博物館の解説は「文字どおり目の色からとも、後背(こうはい)の炎に映る本体の色づけからともいう」と両方を並べている。よく「青は東を表す」といった五行(ごぎょう)による方角の説明を見かけるが、これは後からの説明で、目青不動の教学院は江戸城の西にある。方角で割り切るのは無理がある。
【境内に眠る人々】
本堂には、恵心僧都(えしんそうず)の作と伝わる阿弥陀如来と、聖徳太子の作といわれる聖観音(しょうかんのん)像が安置されている。境内の墓地には小田原大久保家歴代の墓のほか、江戸後期の南画家・岡本秋暉(おかもとしゅうき)と、その子で明治の書家だった岡本碧巌(おかもとへきがん)の墓がある。秋暉は孔雀(くじゃく)の絵で知られ、小田原藩に仕えた人である。大久保家の菩提寺だったこの寺に眠っているのは、そのつながりによる。
見どころ・特徴
【目青不動明王】不動堂にまつられる。本尊の像は秘仏(ひぶつ、ふだんは公開しない仏像)で、手前に拝むための前立(まえだち)の不動明王像が置かれている。参拝者が普段目にするのはこちらになる。明治15年(1882年)に廃寺となった麻布・観行寺から遷された像で、この寺が「目青不動」と呼ばれる理由そのものである。
【本堂の阿弥陀如来と聖観音】本堂の本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作と伝えられる。聖徳太子の作と伝わる聖観音像も安置されている。世田谷区教育委員会の掲示にも記されている、この寺のもうひとつの顔。
【大久保家と岡本秋暉の墓】境内墓地に、小田原城主だった大久保家歴代の墓がある。南画家・岡本秋暉とその子・岡本碧巌の墓も。歴史好きなら不動堂だけで帰らず、墓地まで足を延ばす価値がある。
【街なかの静けさ】三軒茶屋の交差点からほんの数分歩いただけの場所にありながら、山門をくぐると人通りの音が遠のく。境内はこぢんまりしていて、参拝そのものは10分もあれば終わる。広い庭園や大伽藍を期待して行く場所ではない。それでも、江戸五色不動をめぐる人にとってはここが一つの区切りになるし、買い物の合間に立ち寄れる手軽さは他の四か所にはない強みでもある。
学び・特徴
主祭神
阿弥陀如来目青不動明王
社格
天台宗(もと寛永寺の末寺)/江戸五色不動「目青不動」/関東三十六不動霊場 第16番札所
創建
応長元年(1311年)に玄応和尚が江戸城紅葉山付近に開いたと伝わる。慶長9年(1604年)創建とする資料もある。
ご利益
厄除け家内安全
テーマ
パワースポット
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都世田谷区太子堂4-15-1
参拝時間
開門:6:00〜17:00(年中無休)
御朱印の受付:9:00〜16:30
※書き手が不在のときは書き置きでの授与になります。
拝観料:無料
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】東急世田谷線「三軒茶屋」駅から徒歩約3分。東急田園都市線「三軒茶屋」駅から徒歩約5分。東急世田谷線「西太子堂」駅からも歩ける距離。
【車】世田谷通りから、コピー・印刷店「アクセア三軒茶屋店」の角を入る。
【駐車場】境内に入ったところに数台分の駐車スペースがある。ただし台数が少なく、三軒茶屋周辺は道が細い。電車で行くほうが確実。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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