この寺について
天台宗の寺で、江戸五色不動のひとつ「目赤不動(めあかふどう)」として知られる。
元和2年(1616)に万行律師(まんぎょうりっし)が開いた。もとは「赤目不動」と呼ばれていたが、三代将軍・徳川家光が鷹狩りの途中に立ち寄り、「目黒・目白に対して目赤と呼べ」と命じたことから今の呼び名になったと伝わる。関東三十六不動霊場 第13番札所。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、名前がひっくり返ったことにある。「目赤」は、もともと「赤目」だった。
開いたのは万行律師(まんぎょうりっし)。比叡山の南谷(みなみだに)にいた僧で、寛永18年(1641)に亡くなっている。文京区の説明によれば、万行は伊勢国(今の三重県)の赤目山(あかめさん)で不動明王像を授かり、駒込村の動坂(どうざか)のあたりに庵を結んだ。元和2年(1616)のこととされる。授かった場所の名を取って、この不動明王は「赤目不動」と呼ばれた。
転機は寛永年間である。三代将軍・徳川家光が鷹狩りの途中にこの庵へ立ち寄った。そして、すでに江戸で知られていた目黒不動・目白不動に対し、「目赤と呼ぶべし」と命じ、あわせて現在地の土地を与えたという。寛永5年(1628)のことと伝えられる。
つまり、像の目が赤いわけではない。伊勢の赤目山に由来する「赤目」が、目黒・目白と語呂を揃えるために「目赤」へと並べ替えられたのである。将軍のひとことで寺の呼び名が変わった、という点にこの寺の面白さがある。
なお「江戸五色不動」という言い方が広まったのは、実はずっと後のことである。江戸時代に知られていたのは目黒・目白・目赤の三つで、五色不動という呼称が文献に現れるのは明治の末から大正の初めごろだとされる。家光が天海(てんかい)僧正の進言で江戸の五方に不動を配した、という筋書きは後世に整えられた物語という見方が強い。それでも、家光がこの寺に立ち寄って名を与えたという伝えは、文京区も区の解説として紹介している古い言い伝えである。
見どころ・特徴
【不動堂と目赤不動明王】境内の不動堂に、目赤不動明王が祀られている。江戸五色不動のうち、江戸時代から名の知られていた三不動のひとつ。
【名前の由来を知ってから見る】「赤目」が「目赤」に変わったいきさつを知っていると、不動堂の前に立ったときの見え方が変わる。伊勢の赤目山から江戸へ運ばれ、将軍のひとことで呼び名を並べ替えられた像である。
【江戸で早くから知られた不動尊】「江戸五色不動」という呼び方が広まったのは明治の末から大正のころだが、目黒・目白・目赤の三不動は江戸時代から人々に知られていた。その一つが、今も同じ場所で信仰を集めている。
【関東三十六不動霊場 第13番】巡礼の札所でもあり、納経・御朱印を求めて訪れる人が絶えない。
【訪ねかた】駅から歩いて数分、都心の住宅地のなかにある。目黒不動(瀧泉寺)、目白不動(金乗院)、目青不動(教学院)、目黄不動と合わせて回れば、江戸の町がどれだけ広かったかを足で実感できる。都内を横断する行程になるので、丸一日みておくとよい。駒込・本郷あたりの寺社と組み合わせて半日歩くのもおすすめ。
学び・特徴
主祭神
不動明王
社格
大聖山(たいしょうざん)東朝院(とうちょういん)南谷寺/天台宗。江戸五色不動の「目赤不動」。関東三十六不動霊場 第13番札所。
創建
元和2年(1616)、万行律師の開山と伝わる。寛永5年(1628)、徳川家光より現在地を与えられ移転。
ご利益
厄除け
テーマ
札所将軍ゆかり江戸
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都文京区本駒込1-20-20
参拝時間
境内は参拝できます。拝観料の記載は見つかりませんでした。
参拝可能な時間、御朱印・納経の受付時間は公開情報で確認できませんでした。関東三十六不動霊場の札所なので納経の対応はありますが、時間は寺へ直接ご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】東京メトロ南北線「本駒込」駅から徒歩約4分。
【駐車場】専用駐車場はないとする情報があります。周辺のコインパーキングをご利用ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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