この神社について
平塚宿の鎮守として親しまれてきた神社で、春日大社(奈良県)と同じ天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・比売神(ひめがみ)の四柱を祀る。社伝では、建久2年(1191)に源頼朝が相模川(馬入川)の橋供養の祈願所として整備したのが始まりとされ、翌年には妻・北条政子の安産祈願で神馬が奉納されたと伝わる。旧称は黒部宮(くろべのみや)。安産や旅行・交通安全の神としても信仰されている。
歴史・由来
この神社を理解する鍵は、「春日」という社名と、実際の草創を伝える源頼朝(みなもとのよりとも)の逸話とが、少しずれた形で伝わっている点にある。
社伝によれば、当社はもともと平塚山黒部宮(くろべのみや)と呼ばれ、花水川(はなみずがわ)左岸の十間坂(じゅっけんざか)のあたりに鎮座していたという。建久2年(1191)、源頼朝が相模川(馬入川)にかけた橋の完成を祝う橋供養の祈願所としてこの社を定め、現在の地へ移したと伝わる。『吾妻鏡』にもこの出来事が記されているという。翌建久3年(1192)8月9日には、頼朝の妻・北条政子の安産を祈願して神馬が奉納されたと伝わり、これが今日まで続く安産の神としての信仰につながっている。
社名の「春日」は、奈良の春日大社と同じ天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売神の四柱を祀ることに由来するとみられるが、いつ、どのような経緯で春日の神々が祀られるようになったのかを直接示す記録は見つからなかった。
江戸時代には東海道平塚宿の鎮守として重んじられ、慶安2年(1649)には徳川将軍家から社領6石を認める御朱印状を受けたと伝わる。明治6年(1873)には村社に列せられた。かつては神仏習合の時代が続き、別当寺(神社を管理する寺)が置かれていたが、その寺の名は資料によって表記が異なり(廣蔵寺、範隆寺など)、正確な寺名は今回の調査では確定できなかった。別当寺はすでに廃寺となっている。境内に今も残る鐘楼は、神仏習合の時代の名残と伝えられている。
見どころ・特徴
【子育て狛犬】
拝殿前に立つ一対の石造狛犬は天保14年(1843)、江戸の石工によって奉納されたもの。阿形(あぎょう、口を開けた像)は子獅子に乳を含ませ、吽形(うんぎょう、口を閉じた像)は子獅子を抱きかかえる姿で彫られており、市内でも優れた作例として知られている。
【安産・旅行安全の神】
北条政子の安産祈願にまつわる伝承から安産の神として、また春日大社の故事にちなんで旅行・交通安全の神としても信仰されている。
【境内社の数々】
境内には稲荷社や天満宮、龍神を祀る社など複数の境内社が祀られており、なかには毘沙門天を祀る社もある。
【訪ねかた】
旧東海道平塚宿の中心にあり、平塚駅からも歩いて参拝できる立地にある。境内はさほど広くないので、狛犬や境内社をひとつずつゆっくり見て回るのがおすすめ。
年中行事・お祭り
【例大祭(夏祭り)】例年8月上旬
開催日は情報源によって「8月1日」「8月第一日曜日」と表記が分かれています。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず神社や平塚市にご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)武甕槌命(たけみかづちのみこと)経津主命(ふつぬしのみこと)比売神(ひめがみ)
社格
旧社格は村社(明治6年列格)。江戸時代の慶安2年(1649)には徳川将軍家から社領6石を認める御朱印状を受けたと伝わる。「湘南ひらつか七福神」との関わりを紹介する情報もあるが、現在の公式な七福神めぐり(平塚市観光協会)の構成7社寺には含まれておらず、内容にも情報源による食い違いがある。
創建
創建年代は不詳。社伝では、建久2年(1191)に源頼朝が相模川(馬入川)の橋供養の祈願所として、旧称・黒部宮(くろべのみや)を現在地に整備したのが始まりと伝わる。
ご利益
安産祈願交通安全
テーマ
旧東海道
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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