この寺について
大阪市中央区谷町8丁目の寺町にある、日蓮宗の寺院です。山号は大圓山。大阪七福神の福禄寿(ふくろくじゅ)をお祀りしていて、七福神めぐりの札所のひとつです。寺伝では、淀殿(よどどの)が豊臣秀頼の武運長久を祈って建てたと伝わり、「淀君の寺」とも呼ばれています。大阪市指定有形文化財の木造日蓮坐像(もくぞうにちれんざぞう)があります。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、淀殿の祈りから始まったと伝わる寺が、道路の拡張や戦災のたびに姿を変えながら、同じ谷町の地で続いてきたという歩みです。
【淀殿ゆかりの寺】
寺伝では、天正7年(1579)に日長が創建したとされます。淀殿が豊臣秀頼の武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈り、片桐且元(かたぎりかつもと)と大野修理之介(大野治長)が奉行となって、大坂城をつくったときの余り材で本堂を建てたと伝わります。一方、『大阪府全志』は天正17年(1589)4月の建立としています。1589年には秀頼はまだ生まれていないため、創建の時期や経緯にはいくつかの伝えがあります。
【江戸時代の火災と復興】
正徳2年(1712)6月、本堂以外の堂が焼けました。その後、宝暦・明和年間(1751〜1772)に復興されました。
【明治から昭和へ】
明治時代は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響で、一時さびれましたが、のちに堂の修理が行われました。昭和12年(1937)には楠木通りの拡張で境内の北側が削られ、翌年に諸堂が完成しました。昭和20年(1945)3月の大阪大空襲では、本堂の屋根の3分の1が吹き飛びましたが、焼失は免れました。昭和33年(1958)からの谷町筋の拡張では境内の東側が削られ、堂の一部は他の寺に移されて今も残っています。現在の鉄筋コンクリート造の本堂は、昭和38年(1963)に建てられました。
【木造日蓮坐像】
本堂の内陣中央に安置されている像で、背面の銘から、文禄3年に尼崎の吉岡新右衛門正次(よしおかしんえもんまさつぐ)が奉納したことが分かります。大坂の陣より前につくられた像で、大阪市内に伝わる肖像彫刻のなかでも古い例とされ、日蓮像の基準となる作例のひとつです。令和4年度に大阪市指定有形文化財となりました。
見どころ・特徴
学び・特徴
宗派・寺格
日蓮宗。山号は大圓山。大阪七福神の福禄寿の札所。
創建
寺伝では天正7年(1579)に日長が創建したと伝わる。『大阪府全志』は天正17年(1589)4月の建立とする。
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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