この寺について
坂東三十三観音の第15番札所で、通称は白岩観音。
山号を白岩山、宗派は金峯山修験本宗。役行者の開基と伝え、朱鳥元年(686)の創建とされる。本尊の十一面観音立像は平安時代後期の作で群馬県指定重要文化財だが、秘仏として公開されていない。永禄6年(1563)の武田信玄による箕輪城攻めで焼け、天正8年(1580)に再建された観音堂と、室町期と伝わる仁王門が高崎市の指定重要文化財として残る。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、修験の寺として始まりながら、坂東札所として生き延びたことにある。
伝えでは、朱鳥元年(686)に役行者が開いたという。ほかに、和銅年間に観音像が出現したのを機に聖武天皇の勅願で徳道と行基が伽藍を建てたとする説もある。ただし資料が乏しく、創建の年代は定まっていない。役行者の開基と聖武天皇の勅願が同じ寺の由緒として並んでいること自体が、この寺の来歴の不確かさを示している。宗派がいまも金峯山修験本宗であるのは、修験から始まったという言い伝えと矛盾しない。
坂東三十三観音の札所に数えられてからは、源義家・源頼朝・新田義貞といった武将の信仰を受けたと伝わる。榛名山の東の麓、白岩の谷あいという立地は、上野国を押さえる者にとって無視できない位置でもあった。
その位置が災いする。永禄6年(1563)、武田信玄が箕輪城を攻めたとき、伽藍は兵火に焼かれた。いま建つ観音堂は、そのあと天正8年(1580)に世無道という僧によって再建されたものである。江戸時代には徳川家光から朱印地を受けて寺格を保った。
残ったものを見ると、この寺の性格がよく分かる。本尊の十一面観音立像はカヤ材の一本割矧造で、平安時代後期、11世紀末から12世紀のもの。群馬県内に平安期の仏像は少なく、貴重とされる。だが本尊は秘仏で公開されない。参拝者が拝むのは、鎌倉時代末の前立像のほうである。焼けた堂は建て直せても、仏は残った。その残った仏を見せずに守ってきたことが、四百数十年のあいだ続いている。
見どころ・特徴
【観音堂】天正8年(1580)に世無道によって再建された堂。仁王門を抜けた正面に建つ。仁王門とあわせて「白岩観音本堂、仁王門他」の名で、昭和63年(1988)5月16日に高崎市の重要文化財に指定された。
【仁王門】室町時代の建立と伝わる。市の指定重要文化財に含まれる。
【木造十一面観音立像(本尊)】群馬県指定重要文化財。昭和50年(1975)9月5日指定。平安時代後期、11世紀末から12世紀の作で、像高179.8cm(全高229.6cm)、カヤ材の一本割矧造。県内に残る平安期の仏像は少なく、貴重とされる。ただし秘仏で、一般には公開されていない。
【木造十一面観音立像(前立像)】同じく県指定重要文化財。鎌倉時代末の作で、ヒノキの寄木造に金箔を施す。参拝者が向き合うのはこちらの像になる。
【役行者像】観音堂の内部に祀られている。修験の寺として始まったという由緒が、像の形で残っている。
【ご詠歌】誰も皆な祈る心は白岩の初瀬の誓ひ頼もしきかな
【率直なところ】山あいの静かな札所で、境内はさほど広くない。堂と門を見て納経を受ければ30分ほどで終わる。本尊は見られない。それでも、天正の再建からそのまま建っている堂に入って、鎌倉の前立像と役行者像の前に座れるというのは、坂東の札所のなかでも地味に贅沢なほうである。
年中行事・お祭り
学び・特徴
主祭神
十一面観世音菩薩
社格
白岩山 長谷寺/金峯山修験本宗/坂東三十三観音 第十五番札所
創建
伝・朱鳥元年(686)、役行者の開基。ほかに和銅年間の観音出現と聖武天皇の勅願による徳道・行基の開創とする説もあり、確かなことは分かっていない。
ご利益
縁結び
テーマ
札所文化財
基本情報
住所
群馬県高崎市白岩町448
参拝時間
納経の受付は9:00〜16:00。
観音堂の内部を拝観する場合は200円(納経料は別)。
御朱印は葬儀などで対応できない日があるため、確実を期すなら事前に電話(027-343-0349)でご確認ください。
本尊は秘仏で、通常は公開されていません。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【バス】高崎駅西口2番乗り場から群馬バス「本郷経由室田行」または「榛名湖行」で約25分、「ドドメキ」下車。そこから舗装された緩い坂道を25〜30分ほど歩きます。
【車】関越自動車道「前橋IC」から約45分(約15km)。
【駐車場】あり(門前、無料)。
【問い合わせ】027-343-0349
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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