TabiShiri
寺 御朱印 平塚市

光明寺

こうみょうじ

この寺について
通称「金目観音(かなめかんのん)」。坂東三十三観音霊場・第7番札所。寺伝によれば、大宝2年(702)、海女(あま)が金目川の海で引き上げた観音像を安置したのが起源とされる。天平年間(729~749)には行基がこの地を訪れ、新たな観音像を造立してその胎内に先の像を納めたと伝わり、「お腹籠りの観音さま」として安産信仰を集める。源頼朝も祈願所として崇敬した。本堂内厨子は国指定重要文化財。

歴史・由来

光明寺を理解する鍵は、海から現れた一体の観音像が、やがて安産祈願の霊場として、源頼朝から今日の参拝者まで、長い時代を通じて信仰を集めてきたという点にある。 寺伝によれば、大宝2年(702)、海女が金目川の海で観音像を引き上げた。道儀上人がこれを安置する堂を建てたのが、光明寺の始まりとされる。その後、天平年間(729~749)には、諸国を巡っていた行基がこの地を訪れ、新たな観音像を造立して、海女が得た最初の観音像をその胎内に納めたと伝わる。この由来から「お腹籠りの観音さま」と呼ばれ、安産にご利益があるとされるようになった。 中世には、源頼朝がこの観音を篤く信仰した。建久3年(1192)、妻・北条政子の安産祈願のため、金目観音を祈願所の一つに指定したと伝わる。同年、後白河法皇の四十九日法要が鎌倉の勝長寿院で行われた際には、金目観音の僧も参列したという。 現在の本堂は、明応7年(1494)の本堂供養の際に建立されたと考えられており、本堂内の厨子(本尊の前立・聖観世音菩薩像を納める)も同じ明応7年(1498)の造立と推定される。江戸時代の元禄9~10年(1696~1697)には大修理が行われ、昭和58~61年(1983~1986)の解体修理で建立当初の姿に復元された。 「金目」という地名について、光明寺では金色の目を持つ観音にちなむという言い伝えがあるが、地名研究の分野では、治水に関する「堤防」を意味する古語に由来する説や、鍛冶に関わる土地であったことに由来する説も指摘されており、観音伝説だけがその由来というわけではないようである。

見どころ・特徴

【本堂内厨子(国指定重要文化財)】 明応7年(1498)の造立と推定される、禅宗様式の一間厨子。本尊の前立である聖観世音菩薩像とともに、昭和45年(1970)、国の重要文化財に指定されている。 【観音堂(本堂、神奈川県指定重要文化財)】 明応7年(1494)の建立と考えられる、平塚市内でも最古級の本堂建築。昭和54年(1979)、神奈川県の重要文化財に指定された。 【木造金剛力士立像・光明寺銅鐘(神奈川県指定重要文化財)】 仁王門に安置される木造金剛力士立像(平成3年/1991年指定)と、光明寺銅鐘(昭和38年/1963年指定)。いずれも神奈川県の重要文化財。 【安産祈願と水琴窟】 「お腹籠りの観音さま」として知られ、安産祈願に訪れる参拝者が多い。境内の庭には水琴窟(すいきんくつ)があり、静かな水音を楽しめる。門前からは富士山を望むことができ、春には桜の名所としても知られる。
学び・特徴
宗派・寺格
坂東三十三観音霊場・第7番札所。本堂内厨子(付・前立聖観世音菩薩像)が昭和45年(1970)6月17日、国の重要文化財に指定された。観音堂(本堂、昭和54年/1979年2月16日)、木造金剛力士立像(平成3年/1991年2月8日)、光明寺銅鐘(昭和38年/1963年9月20日)が神奈川県の重要文化財に、木造聖観世音菩薩立像(昭和35年/1960年3月31日)、木造観音三十三応現身立像(平成12年/2000年9月30日)、仁王門(昭和60年/1985年11月25日)が平塚市の指定文化財となっている。
創建
寺伝によれば、大宝2年(702)、道儀上人による開山と伝わる。
テーマ
坂東三十三観音安産祈願源頼朝ゆかりの地国指定重要文化財
この場所を巡る軸
基本情報
住所
神奈川県平塚市南金目896
参拝時間
納経(御朱印)の受付時間は、3月から10月は午前8時から午後5時まで、11月から2月は午前8時30分から午後4時30分まで。拝観料は不要。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR東海道線「平塚」駅北口から、神奈川中央交通バス「秦野駅」または「東海大学」方面行きに乗り、「金目」バス停で下車、徒歩約5分(バス乗車時間は約25分)。小田急小田原線「秦野」駅からもアクセス可能。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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