この寺について
正式名「護国山尊重院天王寺」。建治年間(1275-1278)、源頼朝の重臣・関小次郎長耀の創建。江戸期は「日蓮宗最後の不受布施派の本拠」として弾圧を受け、後に天台宗に改宗。「谷中の墓地」=東京屈指の墓地。
歴史・由来
正式名「護国山尊重院天王寺(ごこくさんそんちょういんてんのうじ)」。
建治年間(1275-1278)、源頼朝の重臣・関小次郎長耀(せきこじろうながてる)の創建と伝わる。当初は感応寺(かんのうじ)と称した。
江戸期、当寺は「日蓮宗不受不施派(ふじゅふせは)」=他宗派からの布施を受けず、与えない厳格な日蓮宗の一派の本拠地となった。徳川幕府は不受不施派を厳しく弾圧、当寺は元禄11年(1698)、天台宗に強制改宗させられた、稀有な「宗派改宗の聖地」。
寛永13年(1636)、当寺の前で江戸の富くじ(とみくじ、=宝くじの起源)が始まった。「谷中の富(とみ)」=「江戸三大富くじ(谷中・湯島・目黒)」の一つで、江戸庶民の娯楽の中心。
明治7年(1874)、谷中墓地(やなかぼち)が境内地に整備。徳川慶喜( 関連、最後の将軍)の墓、横山大観の墓、川上音二郎の墓など、近代日本の著名人の墓が多数。
見どころ・特徴
JR山手線「日暮里」駅徒歩約5分。東京都台東区、谷中銀座のすぐ近く。
「本堂」「五重塔跡」など、伽藍がこぢんまり。
「五重塔跡」=昭和32年(1957)、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった五重塔が、放火心中事件で焼失した跡。文学ファンの聖地。
「谷中墓地」=東京屈指の墓地。徳川慶喜の墓、横山大観の墓など、近代日本の著名人の墓が多数。
「谷中銀座商店街」「日暮里駅」と組み合わせて、谷根千(谷中・根津・千駄木)散策の中心。
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
東京都台東区谷中7-14-8
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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