TabiShiri
寺 御朱印 目黒区

目黒不動尊

めぐろふどうそん

別名:瀧泉寺(りゅうせんじ)

この寺について
東京都目黒区にある天台宗(てんだいしゅう)の寺。本尊は不動明王(ふどうみょうおう)。寺伝では大同3年(808)、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開いたとされ、関東でいちばん古い不動明王の霊場とも言われる。「目黒」という地名そのものが、この寺のお不動さまに由来するという説があるほど、この土地の中心だった場所である。江戸時代には徳川家光の庇護を受けて50棟を超える伽藍(がらん=寺の建物群)が建ち並び、富くじ(今の宝くじ)が行われる江戸有数の盛り場にもなった。境内には円仁が独鈷(とっこ)を投げたところから湧いたと伝わる「独鈷の滝」があり、今も水が枯れない。サツマイモを広めて「甘藷先生(かんしょせんせい)」と呼ばれた青木昆陽(あおきこんよう)の墓は国の史跡。江戸五色不動(えどごしきふどう)のひとつで、元祖山手七福神の恵比寿神も祀る。

歴史・由来

この寺を理解する鍵は、「目黒という地名が、この寺から生まれた」という点にある。ふつうは土地の名が寺につくが、ここは順序が逆だったと言われている。 寺伝によれば、大同3年(808)、若き日の慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地を通りかかった。円仁はのちに比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の三代目トップを務め、東北から関東まで数多くの寺を開いた天台宗の高僧である。円仁はここで不動明王の姿を見たといい、その姿を彫って本尊としたのがこの寺のはじまりとされる。 そのときの伝説が「独鈷の滝(とっこのたき)」である。独鈷は密教で使う金属製の法具で、両端がとがった短い棒の形をしている。円仁がこれを投げたところ、落ちた地面から水が湧き出した。それが今も境内に残る滝で、千二百年のあいだ一度も枯れたことがないと伝えられている。 貞観2年(860)、清和天皇(せいわてんのう)から「泰叡(たいえい)」という勅額(ちょくがく=天皇が書いた額)を賜り、これが山号になった。 寺が大きく飛躍したのは江戸時代である。元和元年(1615)に本堂が火事で焼けたが、寛永7年(1630)に上野の寛永寺(かんえいじ)の末寺となり、寛永11年(1634)には三代将軍・徳川家光の庇護を受けて、53棟にも及ぶ伽藍が復興した。家光がこの寺を特別に扱った理由には諸説あるが、ともかくこれによって目黒不動は江戸近郊でも指折りの参詣地になった。 江戸の人々にとって、ここは信仰の場であると同時に遊興の場でもあった。文化9年(1812)には富くじ(とみくじ=今の宝くじにあたる興行)が許可され、目黒不動は谷中感応寺・湯島天神とならんで「江戸の三富」と呼ばれた。参道には店が並び、縁日には人があふれた。落語や浮世絵に目黒がよく登場するのは、こうした賑わいがあったからである。 もうひとつ、この寺には忘れてはならない人物が眠っている。青木昆陽(あおきこんよう)である。江戸時代の学者で、飢饉(ききん)に苦しむ人々を救おうと、享保20年(1735)に『蕃薯考(ばんしょこう)』を著してサツマイモの栽培を広めた。サツマイモは痩せた土地でも育ち、実際に多くの命を救った。人々は昆陽を「甘藷先生(かんしょせんせい)」と呼んだ。昆陽は生前に自分の墓を用意し、その呼び名にならって石に「甘藷先生墓」と刻ませた。明和6年(1769)に没し、この寺に葬られている。この墓は昭和18年(1943)5月1日に国の史跡に指定された。 今も毎月28日の縁日には参道に露店が並び、10月28日には青木昆陽をしのぶ「甘藷まつり」が開かれる。江戸の賑わいの記憶が、形を変えてまだ続いている。

見どころ・特徴

【独鈷の滝(とっこのたき)】境内でいちばん古い場所。慈覚大師円仁が投げた独鈷から湧いたと伝わる泉で、銅製の龍の口から二条の水が流れ落ちる。千二百年枯れたことがないと伝えられている。かつては参拝者がこの水で身を清めてから本堂へ向かった。 【本堂へ上がる石段】急な石段を登った先に本堂がある。江戸時代の絵図にも描かれた構図で、下から見上げると寺の大きさが一目でわかる。 【前不動堂(まえふどうどう)】東京都指定有形文化財(昭和41年〈1966〉3月31日指定)。独鈷の滝の左手にある江戸時代中期の仏堂。江戸時代、将軍や大名が参拝するときは庶民が本堂に近づけなかったため、庶民が拝めるように建てられたお堂である。身分によって拝む場所が分けられていた時代の実物が、そのまま残っている。掲げられた扁額(へんがく)も文化財の一部として指定されている。 【勢至堂(せいしどう)】目黒区指定有形文化財(昭和59年〈1984〉3月31日指定)。江戸時代中期の建立で、前不動堂とよく似た造り。昭和44年に現在地付近へ移された。 【銅造大日如来坐像(どうぞうだいにちにょらいざぞう)】目黒区指定有形文化財(昭和59年〈1984〉3月31日指定)。本堂の裏手に鎮座する巨大な金属の仏像で、高さ385センチ。天和3年(1683)に鋳物師(いもじ)の横山半右衛門尉正重(よこやまはんえもんのじょうまさしげ)が造った。頭・胴・腕・膝など十数の部分を別々に鋳造して組み合わせる「吹き寄せ」という技法による。本堂だけ見て帰る人が多いが、裏まで回る価値がある。 【青木昆陽墓(国の史跡)】本堂裏の墓地にある。石に刻まれているのは「甘藷先生墓」の五文字。サツマイモを広めて飢饉から人を救った学者が、自分でこの墓を用意し、この呼び名を選んだ。昭和18年(1943)5月1日、国の史跡に指定された。 【恵比寿神(三福堂)】元祖山手七福神のひとつで、恵比寿神を祀る。ただし開帳されるのは毎月28日と1月1日から7日までだけ。それ以外の日に行っても姿は見られないので、目当てにするなら日を選ぶ必要がある。 【江戸五色不動のひとつ】江戸の五方向に置かれたとされる五つの不動尊(目黒・目白・目赤・目青・目黄)のひとつ。その中でも目黒不動は最もよく知られている。 【毎月28日の縁日】不動明王の縁日で、参道に露店が並ぶ。江戸時代から続く賑わいで、境内の雰囲気は普段とまるで違う。静かに参拝したいなら28日以外、江戸の面影を感じたいなら28日に行くとよい。
年中行事・お祭り
【縁日】毎月28日。不動明王の縁日で、参道に露店が並び多くの参拝者でにぎわう。山手七福神の恵比寿神が開帳されるのもこの日。 【甘藷まつり(かんしょまつり)】例年10月28日。サツマイモを広めた青木昆陽をしのぶ行事。境内の昆陽の墓がある寺ならではの祭りで、10月の縁日と重なる。 【元祖山手七福神めぐり】例年1月1日から7日ごろ。瀧泉寺は恵比寿神を担当し、ここから覚林寺まで順に回ると商売繁盛を願うめぐり方になる。この期間は恵比寿神が開帳される。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
不動明王
社格
天台宗。正式には泰叡山護國院瀧泉寺。江戸五色不動のひとつで、関東三十六不動霊場第18番、江戸三十三観音霊場第33番(結願)、元祖山手七福神の恵比寿神。青木昆陽墓は国の史跡、前不動堂は東京都指定有形文化財。
創建
寺伝では大同3年(808)、慈覚大師円仁の開創。貞観2年(860)に清和天皇より「泰叡」の勅額を賜り山号とした。
ご利益
厄除け商売繁盛
テーマ
江戸五色不動七福神国史跡滝
基本情報
住所
東京都目黒区下目黒3-20-26
参拝時間
拝観時間は9:00〜16:30、拝観料はかかりません。御朱印は不動明王と観音の2種類が授与されています。護摩祈祷(ごまきとう)は、1月を除いて毎週日曜日と毎月8日・18日が15:00から、毎月28日の不動縁日は10:00・11:30・13:30・15:00・16:30の5回。1月は毎週日曜日の11:30・13:30・15:00です。申し込みは本堂右手の受付所で、護摩の開始30分前まで。所要時間は30〜40分です。初詣・七五三・車のお祓いは事前予約が必要です。お札は紙札3,000円、木札5,000円〜30,000円。現金書留による郵送申込も1年中受け付けています。山手七福神の恵比寿神が開帳されるのは毎月28日と1月1日から7日までのみです。時間・料金は変更される場合がありますので、お出かけ前に公式サイトでご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
東急目黒線・不動前駅から徒歩約15分。JR山手線・都営三田線・東京メトロ南北線・東急目黒線の目黒駅からは徒歩約20分。バスなら東急バス渋谷行き(渋72系統)で「目黒不動尊境内」下車がいちばん近く、境内のすぐそばに着きます。車の場合は山手通りの「かむろ坂下」から2つ目の信号を右折。参拝者用の駐車場については公式の案内がないため、公共交通機関での参拝をおすすめします。境内は本堂まで急な石段を登ります。毎月28日の縁日は参道が混雑します。
公式サイト
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

記録を確認中...