この神社について
姫路市の北、広嶺山(ひろみねさん)の山頂近く(標高約300メートル)にまつられる古社で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と五十猛尊(いそたけるのみこと)を主祭神とします。天平5年(733)に吉備真備(きびのまきび)が社殿を建てたと伝わり、京都の八坂神社のもとになった「元祇園」とも伝えられています。室町時代に再建された本殿と、江戸時代はじめに再建された拝殿は国の重要文化財です。境内には黒田官兵衛の祖父・重隆をたたえる官兵衛神社もあります。
歴史・由来
【「元祇園」と呼ばれる理由】
廣峯神社を理解する鍵は、京都の祇園社(今の八坂神社)とのつながりです。
【始まりと吉備真備】
社伝によると、第10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代に、この山に素戔嗚尊と五十猛尊をまつったのが神社の始まりとされます。天平5年(733)には、遣唐使として唐から帰国した吉備真備が神のお告げを受け、聖武天皇(しょうむてんのう)の許しを得て社殿を建て、「廣峯神社」と名づけたと伝えられています。真備は陰陽道(おんみょうどう)の考え方を取り入れ、素戔嗚尊を牛頭天王(ごずてんのう)としてまつったといいます。
【元祇園の伝え】
中世の播磨の地誌『峯相記(ほうしょうき)』には、平安京ができたとき、都の東を守るために廣峯の神を祇園に迎え、「当社を以って本社と云うべし」と記されています。こうしたことから、八坂神社にまつられる牛頭天王は廣峯神社から移ったと伝えられ、廣峯神社は「元祇園」と呼ばれてきました。建保4年(1216)の文書では、鎌倉幕府の将軍・源実朝も廣峯を祇園の本社と認めていたとされます。ところが1311年、広峰山が八坂神社に寄進されたことで、今度は「祇園の末社」と位置づけられることになりました。
【軍神としての信仰】
平安時代の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』では、厳島や吉備津宮とならぶ西国の軍神として「播磨に広峯惣三所」と歌われ、播磨だけでなく朝廷からも広くあがめられていました。
【今の名前へ】
明治時代のはじめの神仏分離によって、「広峯牛頭天王」と呼ばれていた神社は、明治元年(1868)に今の「廣峯神社」の名に改められました。
年中行事・お祭り
【疫神祭】例年1月14日
【節分・立春厄除大祭】例年2月3日から4日
【御田植祭】例年4月3日
【祈穀祭(例祭)】例年4月18日
【夏越の大祓式・茅の輪くぐり】例年6月30日
【御柱祭】例年11月15日
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
素戔嗚尊五十猛尊
社格
本殿・拝殿は国指定重要文化財
創建
崇神天皇の時代にまつられたと伝わる。天平5年(733)吉備真備が社殿を建立(社伝)
ご利益
厄除け
テーマ
文化財武将ゆかり
基本情報
住所
兵庫県姫路市広嶺山52
アクセス
JR・山陽電鉄「姫路」駅から神姫バスで「競馬場前」まで約20分、そこからタクシーで約10分。車の場合、姫路駅から駐車場まで約27分、播但連絡道路の花田インターチェンジから約30分。駐車場あり(約70台)。鳥居前の駐車場から境内まで徒歩約10分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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