この寺について
大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山。天平年間(729-749)、聖武天皇の勅願により行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が開いたと伝わる。平安時代末期に阿観上人(あかんしょうにん)が再興し、高野山が女人禁制だった時代に女性の参拝を受け入れたことから「女人高野」とも呼ばれる。金堂・多宝塔・楼門など中世の建造物群(いずれも重要文化財)が残り、堂内の本尊・大日如来坐像は国宝に指定されている。
歴史・由来
金剛寺を理解する鍵は「女人高野」という呼び名にある。
寺伝によれば、天平年間(729-749)、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が開いたという。その後衰退したが、平安時代末期、阿観上人(あかんしょうにん)がこの地に入り、後白河上皇とその異母妹・八条女院(はちじょうにょいん)の篤い帰依と庇護を受けて再興した。女人禁制だった高野山に対し、金剛寺は八条女院に仕えた女性たちの参拝や出家を受け入れたことから、「女人高野」と呼ばれるようになった。
南北朝時代には、南朝の行宮(あんぐう、仮の御所)が置かれたことでも知られる。正平9年(1354)、後村上天皇が金剛寺の摩尼院(まにいん)に遷り、以後5年にわたって行宮とした(正平14年/1359に観心寺へ移った)。その跡を継いだ長慶天皇も、即位の翌年から金剛寺を行宮としたと伝わる。
現在の金堂は鎌倉時代の元応2年(1320)の再建で、堂内に安置される本尊・大日如来坐像は、脇侍の不動明王坐像・降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)とともに平成29年(2017)に国宝に指定された。金堂・多宝塔・楼門など中世の建造物群は重要文化財に指定されており、平安・鎌倉期の伽藍がまとまって残る、関西屈指の文化財の宝庫となっている。
見どころ・特徴
【金堂と国宝の大日如来】現在の金堂は鎌倉時代の元応2年(1320)の再建(重要文化財)。堂内に安置される本尊・大日如来坐像は、脇侍の不動明王坐像・降三世明王坐像とともに平成29年(2017)に国宝に指定された。
【多宝塔と楼門】多宝塔は平安時代後期の建立で、境内に残る建造物の中でも古い部類に入る。楼門とあわせていずれも重要文化財に指定されている。
【南朝ゆかりの寺】南北朝時代、後村上天皇・長慶天皇が相次いで金剛寺を行宮とした、南朝の拠点のひとつ。境内には北朝の光厳天皇(こうごんてんのう)の分骨所も残る(後村上天皇自身の陵は、南朝ゆかりの寺として並び称される観心寺にある)。
【女人高野】高野山が女人禁制だった時代、女性の参拝や出家を受け入れた寺として「女人高野」と呼ばれてきた。
【訪ねかた】観心寺(後村上天皇陵がある)とあわせて訪ねると、南北朝時代の南河内をより深く感じられる。
年中行事・お祭り
【正御影供(しょうみえく)大法要】毎年4月21日。弘法大師空海の命日にちなむ法要。
【国宝特別公開】春(4月中旬〜5月上旬)と秋(11月1日〜3日)の年2回、通常非公開の国宝の仏像・絵画・古文書などが特別公開される。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
大日如来(だいにちにょらい)不動明王(ふどうみょうおう)降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
社格
真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)の大本山。本山は京都の仁和寺(にんなじ)。新西国三十三箇所第7番、河内飛鳥古寺霊場第8番の札所。
創建
天平年間(729-749)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創と伝わる。平安時代末期、阿観上人が再興した。
この場所を巡る軸
基本情報
住所
大阪府河内長野市天野996
参拝時間
拝観時間は9時から16時30分。拝観料は伽藍(金堂・多宝塔など)が大人200円・小学生100円、本坊(庭園・宝物館など)が大人400円・小学生200円、共通券(大人のみ)500円。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
南海電鉄「南海高野線」または近鉄「長野線」の河内長野駅が最寄り駅。駅前3番のりばから南海バス「サイクルスポーツセンター行」または「旭ヶ丘行」に乗車し、「天野山」で下車(所要15〜20分程度)。7番のりば発のサイクルスポーツセンター行きバスは天野山を経由しないため利用できない。自動車の場合は駐車場あり。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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