この神社について
古くから「関東稲荷総社(かんとういなりそうしゃ)」と称されてきた稲荷神社。
大晦日(おおみそか)の夜に関東じゅうの狐が集まって参拝するという「王子の狐火」の伝承で知られ、歌川広重の浮世絵にも描かれた。
2月の午(うま)の日の凧市や、大晦日の「王子狐の行列」で今もにぎわう。
歴史・由来
王子稲荷神社を理解する鍵は、江戸の人々が抱いた「稲荷の使いである狐」へのあつい信仰が、今も祭りや伝承として息づいていることにある。
創建の年代ははっきりしないが、治承4年(1180)より前の平安時代からあったとされる。
社伝では、康平年間(1058〜1065)に源頼義(みなもとのよりよし)が奥州へ向かう際に深く信仰し、「関東稲荷総司(そうじ)」とあがめたと伝わる。この由緒から、古くから関東の稲荷の総社と称されてきた。
江戸時代には徳川将軍家の祈願所の一つとされ、寛永11年(1634)には王子神社とともに幕府の手で社殿が造られた。
現在の拝殿は、文政5年(1822)に11代将軍・徳川家斉(いえなり)の寄進で建てられたものである。本殿は第二次世界大戦で被災し、昭和35年(1960)に再建された。
大晦日の夜、関八州(かんはっしゅう)の狐が近くの装束榎(しょうぞくえのき)の下に集まって身なりを整え、狐火をともして当社へ参拝した、という言い伝えがある。村人はその狐火の数で翌年の作物の出来を占ったという。
歌川広重は『名所江戸百景』の「王子装束ゑの木大晦日の狐火」でこの光景を描いた。
境内の「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台になったともいわれる。
江戸では大火が多かったため、「凧(たこ)は風を切る」という縁起から火事よけの凧が求められ、2月の午の日の凧市として今に続いている。
平成5年(1993)からは、この狐火の伝承にちなむ「王子狐の行列」が大晦日に行われている。
見どころ・特徴
【拝殿】文政5年(1822)に11代将軍・徳川家斉が寄進した社殿。江戸後期の華やかなつくりを今に伝える。
【額面著色鬼女図(がくめんちゃくしょくきじょず)】幕末から明治の絵師・柴田是真(しばたぜしん)が描き、天保11年(1840)に奉納された絵馬。国の重要美術品に認定されている。谷文晁(たにぶんちょう)の竜の絵とあわせて、正月三が日と凧市の日に公開される。
【狐の穴跡】社殿の脇から奥へ進んだ先にある、狐が住んでいたと伝わる場所。落語「王子の狐」の舞台ともいわれる。
【御石様(おいしさま)】持ち上げたときに軽く感じれば願いがかない、重く感じればかなわないと伝わる石。
【火防けの凧守(ひよけのたこまもり)】凧市の日に授与される、火事よけのお守り。
年中行事・お祭り
学び・特徴
主祭神
宇迦之御魂神宇気母智之神和久産巣日神
社格
関東稲荷総社と称される
創建
不詳(治承4年(1180)以前とされる)
ご利益
商売繁盛五穀豊穣
この場所を巡る軸
神話ストーリー
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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