この寺について
高野山真言宗の寺院。弘仁12年(821)、弘法大師空海が霊木で地蔵菩薩・毘沙門天を刻んで草庵を結んだのが始まりと伝わる。翌年、嵯峨天皇から千手観音菩薩が授けられて本尊となり、承和10年(843)には天皇の皇子・源融(みなもとのとおる、光源氏のモデルの一人ともいわれる)が七堂伽藍を建立し、その名(諱)にちなんで「太融寺」と称されるようになった。境内には、大坂夏の陣で亡くなった淀殿(茶々)の墓と伝わる宝篋印塔もある。新西国三十三ヶ所、摂津国八十八ヶ所など複数の霊場札所を兼ねる。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、平安時代の皇子が名付けた寺号と、豊臣家の記憶を伝える墓所という、時代の異なる二つの物語が同じ境内に共存している点にある。
寺伝によれば、弘仁12年(821)、弘法大師空海がこの地の森にあった霊木から地蔵菩薩(じぞうぼさつ)と毘沙門天(びしゃもんてん)を刻んで草庵を結んだのが始まりとされる。翌年には嵯峨天皇(さがてんのう)から念持仏の千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)が授けられ、これが現在の本尊となった。さらに承和10年(843)、嵯峨天皇の皇子である源融(みなもとのとおる、河原左大臣〈かわらのさだいじん〉)がこの地に七堂伽藍(しちどうがらん)を建立したことから、彼の諱(いみな)「融」にちなみ、山号「佳木山(かぼくざん)」・寺名「太融寺」と称されるようになったと伝わる。源融は、奥州塩竈(しおがま)の風景を京都の邸宅・河原院(かわらのいん)に再現するなど風雅で知られた人物で、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人ともいわれている。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣では、太融寺も戦火で焼失した。境内にある「淀殿(よどどの、茶々)の墓」と伝わる宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、もともと大坂城の外、鴫野弁天島(しぎのべんてんじま)にあったものが、明治10年(1877)にこの地へ移されたものである。豊臣秀頼の母として知られる淀殿は、大坂夏の陣で大坂城が落城した際に自害したと伝わるが、遺骨や埋葬地については確かな記録が乏しく、ここに祀られている墓についても「伝 淀殿の墓」として大切にされてきたものである。
近代には、明治13年(1880)に自由民権運動の全国組織「愛国社(あいこくしゃ)」の第4回大会が太融寺で開かれ、国会開設を求める「国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)」が結成されるなど、政治史の舞台にもなった。第二次世界大戦の大阪大空襲では伽藍の多くを失ったが、戦後に本堂などが再建され、千手観音像は幾度の火災をくぐり抜けて今も大切に守られている。
見どころ・特徴
【本尊 千手観音菩薩】嵯峨天皇の念持仏として下賜されたと伝わる秘仏。毎年1月18日の「初観音」でのみ特別に開帳される。
【淀殿の墓】境内にある宝篋印塔は、豊臣秀頼の母・淀殿(茶々)の墓と伝わるもの。もとは大坂城外の鴫野弁天島にあったが、明治10年(1877)に太融寺へ移された。豊臣秀吉・秀頼ゆかりの地を訪ねる人の目的地の一つになっている。
【白竜明神(はくりゅうみょうじん)】境内に祀られる白い龍の神で、縁結びのご利益で知られる。
【複数の霊場札所】新西国三十三ヶ所第2番、近畿三十六不動尊霊場第6番、おおさか十三仏霊場第8番、摂津国八十八ヶ所霊場第6番、ぼけ封じ観音霊場第7番など、複数の巡礼路の札所を兼ねる。
【梅田のすぐそばの古刹】高層ビルが立ち並ぶ梅田の繁華街のすぐ近くにありながら、静かな時間が流れる境内。参拝後は梅田の街歩きと組み合わせやすい。
年中行事・お祭り
作品ゆかり
太融寺の名の由来となった源融(みなもとのとおる)は、紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人といわれている。境内を訪れると、平安貴族の風雅な暮らしぶりを伝える人物と、都会の寺院とのつながりを感じることができる。
学び・特徴
主祭神
千手観音白竜明神
社格
高野山真言宗、新西国三十三ヶ所第2番・摂津国八十八ヶ所第6番など複数霊場の札所
創建
弘仁12年(821)
ご利益
心願成就縁結び厄除けぼけ封じ
テーマ
パワースポット
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
大阪府大阪市北区太融寺町3-7
参拝時間
境内の拝観は自由(無料)。参拝時間の目安は8時から16時30分までと公式サイトに案内されている。滞在の目安は30分程度。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
地下鉄谷町線・JR東西線「東梅田」駅から徒歩約7分。JR・阪急・地下鉄「梅田」駅からも徒歩約10分。大阪の中心地・梅田にほど近い立地。
公式サイト
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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