この寺について
京都御所の東、寺町通に面した天台圓淨宗(てんだいえんじょうしゅう)の本山です。境内は紫式部の邸宅があった場所と考えられており、白砂と苔に紫の桔梗が咲く「源氏庭」で知られています。比叡山の高僧・元三大師(がんさんだいし)をまつる寺でもあり、2月3日の節分会の「鬼おどり」でもにぎわいます。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、平安時代の宮廷文化とのつながりです。
【船岡山の南で始まった寺】
寺の略史によると、廬山寺は天慶年間(938〜947)、比叡山の第18代天台座主・元三大師良源(がんさんだいしりょうげん)によって、船岡山(ふなおかやま)の南に開かれました。寛元3年(1245)には覚瑜(かくゆ)が再興し、中国の名山・廬山(ろざん)にならって念仏の集まりを開いたことから、「廬山天台講寺」と名乗るようになりました。
【寺町への移転と宮中とのつながり】
応仁の乱で焼けたのち、天正年間(1573〜1593)に豊臣秀吉の都市改造によって今の場所へ移りました。現在の本堂(御仏殿)と尊牌殿(御黒戸〈おくろど〉)は、寛政6年(1794)に光格天皇(こうかくてんのう)が仙洞御所(せんとうごしょ)の一部を移して建てられたものです。明治維新までは、宮中の仏事を受け持つ「御黒戸四箇院」のひとつでした。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で宮中の仏事がなくなりましたが、明治天皇の命によって廬山寺だけが復興され、今は天台圓淨宗の本山となっています。
【紫式部の邸宅址】
昭和40年(1965)、考古学者の角田文衞(つのだぶんえい)が、この境内一帯を紫式部の邸宅の跡と考証しました。紫式部の曾祖父・藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)が建てた「堤第(つつみてい)」と呼ばれる屋敷で、寺では、紫式部はここで育ち、結婚生活を送り、娘の賢子(かたいこ)を産み、『源氏物語』などの作品もほとんどこの地で書かれたと伝えています。同じ年、境内に顕彰碑が建てられました。
見どころ・特徴
【源氏庭】
本堂の前に広がる、白砂と苔の庭です。昭和40年(1965)に、紫式部邸宅址の顕彰碑とともに整えられました。平安時代の庭の雰囲気を表したもので、6月末から9月初めごろには、紫式部にちなむ紫の桔梗が花を咲かせます。寺では、『源氏物語』に出てくる「朝顔」は今の桔梗のことだとしています。
【紫式部邸宅址の碑】
境内には、ここが紫式部の邸宅跡であることを記念する顕彰碑が立っています。
【元三大師堂】
厄除けの「角大師(つのだいし)」の護符で知られる元三大師をまつるお堂です。ふだんは扉が閉じられており、御開帳は1月3日・2月3日・9月3日に限られます。
【御土居(おどい)】
境内の東側には、豊臣秀吉が天正19年(1591)に京都のまわりに築いた土塁「御土居」の一部が残っており、国の史跡に指定されています。
【霊場と七福神】
洛陽三十三所観音霊場の第32番札所(如意輪観音〈にょいりんかんのん〉)であり、京都七福神の毘沙門天(びしゃもんてん)もまつられています。御朱印は5種類あります。
年中行事・お祭り
学び・特徴
本尊
阿弥陀三尊元三大師
宗派・寺格
天台圓淨宗 本山。洛陽三十三所観音霊場 第32番札所。京都七福神(毘沙門天)
創建
天慶年間(938〜947)、元三大師良源が船岡山の南に創建と伝わる。天正年間(1573〜1593)に現在地へ移転
ご利益
厄除け
テーマ
文学ゆかり庭園七福神霊場・巡礼
基本情報
住所
京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
参拝時間
9時から16時まで。拝観料は大人500円、小中学生400円。1月1日と2月1日から2月4日までは拝観休止。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
京都市バス「府立医大病院前」から徒歩約5分。京都御所(京都御苑)の東、寺町通沿いにあります。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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