この寺について
歴史・由来
正式名「龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)」。浄土真宗本願寺派の本山。「お西さん」の愛称。
宗祖は親鸞聖人(1173-1262)。法然の弟子で、「専修念仏」をさらに発展させて「他力本願(たりきほんがん)」=「自分の力ではなく阿弥陀如来の力で救われる」教えを確立。「悪人正機(あくにんしょうき)」=「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の名言で知られる。
親鸞は、当時の朝廷から「異端」とされて越後に流罪となるも、東国布教を通じて浄土真宗(一向宗)を全国に広めた。
文永9年(1272)、親鸞の娘・覚信尼が大谷の地(現京都東山)に親鸞の墓所を建立、本願寺の起源となった。
中世以降、浄土真宗は急速に勢力を拡大、戦国期には「一向一揆」を組織して織田信長と戦った( 鳥越城関連)。
天正19年(1591)、豊臣秀吉から現在地(堀川通)の地を寄進され、御影堂・阿弥陀堂が建立された。
慶長7年(1602)、徳川家康が本願寺の勢力分断を企図、教如(11代法主)に新たに東本願寺を建立させ、本願寺は西と東に分裂。以後、「西本願寺」と「東本願寺」の二大本山が、現代まで併存している。
平成6年(1994)、「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。
見どころ・特徴
JR京都駅徒歩約15分。
「御影堂(ごえいどう)」(国宝、寛永13年/1636再建)「阿弥陀堂」(国宝、宝暦10年/1760再建)は、世界最大級の木造建造物の一つ。両堂が並ぶ壮観な景観。
「飛雲閣(ひうんかく)」(国宝、桃山時代)は、豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)の遺構と伝わる、現存する桃山建築の最高傑作の一つ。金閣・銀閣( 既)と並ぶ「京都三名閣」の一つ。通常非公開、年に数回の特別公開のみ。
「唐門」(国宝、桃山時代)は、聚楽第の遺構と伝わる極彩色の唐破風門。「日暮(ひぐらし)の門」=見飽きない優美さの門。
「白書院」「黒書院」「能舞台」など、桃山美術の傑作が境内随所に。
参拝後は、東本願寺( 同ファイル)と組み合わせて、浄土真宗の二大本山を比較しながら巡れる。
基本情報
住所
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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