この神社について
佐渡国一宮。佐渡島の南部、羽茂の地に鎮座する式内社で、旧国幣小社、現在は神社本庁の別表神社にあたる。主祭神の五十猛命は木を植えて国土を緑にしたという神で、配神の大屋津姫命・抓津姫命とともに、林業・建築・造船の守りとされる。文明2年(1470)の羽茂川の大洪水で社殿も古文書も流され、その後に現在地へ遷ったと伝わる。例祭の一ノ宮まつりでは、やぶさめと大獅子が出る。
歴史・由来
この社を理解する鍵は、洪水がすべてを流したことにある。社殿とともに古文書が失われ、そのあとで「この社は何の神を祀ってきたのか」を、人々が改めて決め直さねばならなかった。
延長5年(927)の『延喜式』神名帳に、佐渡国九座のひとつとして度津神社の名がある。その記載の順から佐渡国の一宮とされ、島でもっとも高い格式を持つ社となった。創建の年は分からない。寛永18年の文書に「仲哀天皇之御宇」とあるが、確かめるすべがない。
文明2年(1470)、羽茂川が大水を出して社殿と古文書を流した。文明4年(1472)に島の領主・本間氏が再建したが、文禄2年(1593)にも水災で社壇が流れ、一時は八幡宮に合祀されたという。現在地への遷座がいつだったかは諸説あって定まらない。
祭神が五十猛命と定まるのも、この空白のあとである。延宝6年(1678)に全国の一宮をめぐった橘三喜がこの社を訪れた際に祭神を定めたとする説があり、いまも五十猛命ではなく海童神とする説、八幡神とする説が並び立っている。「ワタ」は海の古語で、社名そのものは海の神の社と読める。一方、主祭神とされる五十猛命は素戔嗚尊の子で、木を植えて国土を緑にした神。配神の大屋津姫命と抓津姫命はその妹神にあたり、三柱そろって木と建築と船の神とされる。海に囲まれた島に木の神が祀られていることの意味は、船を思えば見当がつく。
文化13年(1816)には、島内で「どこが佐渡の一宮か」を争う一宮論争が起きた。度津神社の別当・神宮寺が勝訴し、以後この社が佐渡国一宮として揺るぎないものになる。明治4年(1871)5月14日に国幣小社に列し、戦後は神社本庁の別表神社となった。
見どころ・特徴
【佐渡国一宮】延喜式神名帳に載る佐渡九座のひとつで、島でもっとも高い格式を持つ社。旧国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。
【三柱の神】主祭神の五十猛命に、配神として妹神の大屋津姫命と抓津姫命。三柱とも木の神で、林業・建築・造船の守りとされる。海の島にこの三柱が祀られているところに、佐渡と船の関わりが表れている。
【境内】社叢に囲まれた静かな境内。火伏橋を渡り、二の鳥居をくぐって拝殿に至る。規模は大きくないが、一宮らしい落ち着きがある。
年中行事・お祭り
【一ノ宮まつり】例年4月下旬。度津神社の例祭で、羽茂城主・本間氏の奉納に始まると伝わります。通例は21日に全島交通安全祈願祭、23日に例大祭、24日に海上安全・大漁祈願祭が営まれます。例大祭の日の午後には、二人の射手が御旅所を経て馬場で弓を射るやぶさめの神事があり、稚児の舞も奉納されます。大獅子が家々を回って厄を祓います。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
主祭神
五十猛命大屋津姫命抓津姫命
社格
式内社(小)/佐渡国一宮/旧国幣小社(明治4年5月14日列格)/別表神社
創建
創建年は不詳。延長5年(927)の『延喜式』神名帳に佐渡国九座のひとつとして記載される古社。寛永18年の文書には「仲哀天皇之御宇」とあるが、裏付けはない。
ご利益
交通安全海上安全大漁
テーマ
一宮
基本情報
住所
新潟県佐渡市羽茂飯岡550-4
参拝時間
境内は自由に参拝できます。社務所での受付や御朱印は9:00〜17:00が目安ですが、常時人がいるとは限りません。御朱印を希望する場合は、事前に電話(0259-88-2030)で確認すると確実です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【フェリー】佐渡へは新潟港から両津港、直江津港から小木港の航路があります。この社の最寄りは小木港です。
【車】小木港から約13〜15分。両津港からは約60分、佐渡汽船のもうひとつの玄関である両津から向かう場合は島を縦断することになります。
【バス】小木港から新潟交通佐渡バス度津線で「一ノ宮前」下車、徒歩1〜5分。本数が少ないので、事前に時刻を確認してください。
【駐車場】あり(無料)。二の鳥居の右側で、隣接する公園と兼用です。台数は資料により20台とも30台とも。トイレは公園にあります。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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