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城 御城印 宮崎市

佐土原城

さどわらじょう

この城について
日向(ひゅうが、今の宮崎県)を代表する中世の山城(やまじろ)。 14世紀半ばに伊東(いとう)氏の一族が田島城として築き、のちに佐土原城と呼ばれた。 戦国時代には伊東氏の本拠として栄え、天正5年(1577年)に伊東氏が島津(しまづ)氏に追われてからは島津氏の日向支配の拠点となる。 江戸時代は薩摩藩の分家・佐土原藩3万石の居城だった。平成8年(1996年)の発掘調査で天守台の跡が見つかり、日本最南端の天守台として知られる。国の史跡、続日本100名城第196番。

歴史・由来

【この城を理解する鍵】 佐土原城は「日向をだれが握るか」を映す鏡のような城である。城主の顔ぶれをたどるだけで、南九州の勢力図がそのまま見えてくる。伊東氏、島津氏、そして江戸時代の佐土原藩へ。約450年にわたって地域支配の中心であり続けたことが、国の史跡に指定された理由でもある。 【伊東氏の城として】 はじまりは14世紀半ば。伊東氏の一族である田島休助(たじまきゅうすけ)が築いた田島城だと伝えられる。応永34年(1427年)ごろに伊東祐賀(いとうすけよし)が入って「佐土原」と呼ばれるようになり、文明12年(1480年)には伊東本家の祐国(すけくに)が入って本家の城となった。天文5年(1536年)に焼失したが、天文11〜12年(1542〜1543年)に鶴松城(かくしょうじょう)として建て直されている。 伊東義祐(いとうよしすけ)の代に伊東氏は最盛期を迎え、日向各地に「伊東四十八城」と呼ばれる城の網をつくりあげた。佐土原城はその中心だった。 【島津氏の城として】 しかし天正5年(1577年)12月、島津氏の攻勢に耐えきれなくなった義祐は日向を捨て、豊後(ぶんご、今の大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)を頼って落ちのびる。世に言う「伊東崩れ」である。空いた佐土原城には島津義久(しまづよしひさ)の弟・家久(いえひさ)が入り、ここは島津氏が日向を治める拠点になった。家久の急死後は子の豊久(とよひさ)が城主となるが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで豊久は討ち死にした。 【佐土原藩3万石】 関ヶ原のあと、徳川家康と島津氏の交渉の結果、豊久の旧領である佐土原3万石は島津以久(しまづもちひさ)に与えられた。以久は島津忠将(ただまさ)の子で、島津貴久(たかひさ)の甥にあたる人物である。慶長8年(1603年)に入り、佐土原藩の初代藩主となった。 寛永2年(1625年)、2代藩主・忠興(ただおき)の代に山の上の建物を取り壊し、藩の政治の場を山ふもとの二の丸へ移す。城の正式な名は松鶴城(しょうかくじょう)となった。以後、島津家の分家が明治まで代々この地を治めている。明治3年(1870年)に藩庁が広瀬へ移り、建物はすべて取り壊された。 【天守はあったのか】 長いあいだ「佐土原城に天守があった」という記録は伝承の域を出なかった。 文化7年(1810年)ごろに佐土原藩がまとめた『旧事集書(きゅうじしゅうしょ)』には天守の記載があり、「天正年中佐土原城下絵図」にも三階櫓(さんがいやぐら)が描かれている。これを裏づけたのが平成8年(1996年)の発掘調査で、本丸から天守台の跡と金箔(きんぱく)を貼った瓦の破片が出土した。日本最南端の天守台として確認された瞬間である。

見どころ・特徴

【日本最南端の天守台跡】本丸には発掘で確認された天守台の跡が残る。金箔瓦の破片も出土しており、九州南部の山城にも豪華な建物が建っていたことを示す貴重な証拠になっている。 【山城と居館がそろって残る】本丸・南ノ城(みなみのじょう)・松尾丸(まつおまる)のある山の上の部分と、山ふもとの二の丸部分がセットで残っている。戦うための城と、暮らし政治を行う館。その両方を一度に歩ける城跡は多くない。 【鶴松館(かくしょうかん)】二の丸跡に復元された御殿。書院(しょいん)・数奇屋(すきや)・大広間の3棟からなり、内部は宮崎市佐土原歴史資料館として佐土原藩の資料や佐土原人形を展示している。入館無料。ただし開いているのは土曜・日曜・祝日のみなので注意(詳細は参拝時間欄)。 【登城路は状況が変わる】本丸へは「中の道」から登れるが、「大手道」は通行止めになっている期間がある。台風や大雨のあとは規制が変わるため、出かける前に宮崎市佐土原歴史資料館のサイトでお知らせを確認してほしい。土の道なので、雨の日や雨上がりはかなり滑る。歩きやすい靴で。 【建物は残っていない】明治3年(1870年)に建造物はすべて取り壊された。見るのは石垣・郭(くるわ)・堀切といった土と石の遺構で、天守や櫓が建っているわけではない。「城の形」を期待すると肩すかしを食う。逆に、地形そのものを読む面白さを味わいたい人には向いている。
年中行事・お祭り
【鶴松館 特別開館期間】例年5月15日〜6月14日 この期間は休館日がなく、毎日開館する。ふだんは土日祝しか開いていないので、平日に訪ねたい人はこの時期を狙うとよい。期間中は生け花体験などの催しが開かれる年もある。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

ゆかりの食・参道の名店2 件
  • くじらようかん

    佐土原に江戸時代から伝わる銘菓。白いういろうの上に小豆あんをのせた二層のお菓子で、切り口が鯨(くじら)に見えることからこの名がついたと伝えられる。端午(たんご)の節句のころに食べる習わしがあり、今も地元の和菓子店で作られている。
  • 城の駅 佐土原いろは館

    城跡の近くにある物産館。くじらようかん、佐土原まんじゅうといった城下の銘菓のほか、地元の老舗醸造所の酢・醤油・味噌などを扱う。カフェコーナーでは地元産の生乳を使ったソフトクリームやコーヒーが飲める。佐土原城の御城印と、続日本100名城のスタンプもここに置かれている。 住所:宮崎市佐土原町上田島1387-1/営業9:00〜18:00/定休日は年始(1月1日〜3日)/TEL 0985-74-4649

※ 営業時間・定休日は変わることがあります。各店の公式情報でご確認ください。

学び・特徴
社格
国指定史跡「佐土原城跡」(平成16年〈2004年〉9月30日指定)/続日本100名城 第196番(平成29年〈2017年〉選定)
創建
14世紀半ば、伊東氏の一族・田島休助が田島城として築いたと伝わる。天文11〜12年(1542〜1543年)に鶴松城として再建。
基本情報
住所
宮崎県宮崎市佐土原町上田島
見学時間
城跡(山城部分)は入場無料・時間の制限なし。ただし登城路の一部が通行止めになることがあるため、事前に確認を。 鶴松館(宮崎市佐土原歴史資料館) 開館:土曜・日曜・祝日のみ 9:00〜16:30(入館は16:00まで) 休館:月曜〜金曜(祝日を除く)、12月29日〜1月3日 ※5月15日〜6月14日の特別開館期間は休館日なし 入館料:無料 TEL:0985-74-1518

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【電車・バス】JR日豊本線「佐土原駅」からタクシーで約10〜15分。路線バス利用の場合は佐土原町上田島方面へ。 【車】東九州自動車道「西都インターチェンジ」から約4km。 【駐車場】鶴松館(二の丸跡)に無料駐車場あり(約60台)。ここが山城部分への登り口にもなっている。 【城の駅 佐土原いろは館】御城印と続日本100名城スタンプはここ。城跡から車ですぐ。鶴松館が閉まっている平日でもスタンプを押せる。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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