この城について
キリシタン大名・大友宗麟が永禄5年(1562)ごろに築いた城。かつて臼杵湾に浮かぶ島「丹生島」にあったため「丹生島城」とも呼ばれる海城。江戸時代は稲葉氏5万石の居城。続日本100名城193番。現在の城跡は臼杵公園として整備され、県南一の桜の名所。
歴史・由来
キリシタン大名・大友宗麟(おおともそうりん、義鎮)が築いた城。永禄5年(1562)から翌年にかけて築かれたとするのが通説で、弘治3年(1557)ごろとする説もある。
宗麟は豊後(ぶんご、今の大分県)を本拠に、九州北部で大きな力を持った戦国大名。フランシスコ・ザビエルと会い、キリスト教を保護したことで知られる。
城は、臼杵湾に浮かぶ島「丹生島」に築かれた海城で、「丹生島城」「亀城」とも呼ばれた。のちに周りが埋め立てられ、今は陸続きになっている。
天正14年(1586)12月、薩摩の島津家久が大軍で豊後に攻め込み、この城に迫った。宗麟は城に入り、ポルトガル商人から贈られたと伝わる大砲「国崩し(くにくずし)」で応戦。城から打って出た大友勢が島津勢を追い払った。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いのあと、郡上八幡(ぐじょうはちまん)城主だった稲葉貞通(いなばさだみち)が5万石で入城。以後、明治維新まで稲葉氏15代の居城となった。
見どころ・特徴
【現存する櫓(やぐら)】
江戸時代から残る「畳櫓(たたみやぐら)」と「卯寅口門脇櫓(うとらぐちもんわきやぐら)」が現存している。二の丸の入口にあたる「大門櫓(おおもんやぐら)」は、木造で復元された。
【島の城の名残】
本丸は島の東の端に、二の丸は空堀をはさんで西側に置かれた。石垣や空堀、井戸の跡が残り、かつて海に囲まれた城の姿を想像できる。
【国崩し】
城跡には、大友宗麟ゆかりの大砲「国崩し(フランキ砲)」のレプリカが置かれている。
【国宝 臼杵石仏】
臼杵市内には、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られた「臼杵石仏(臼杵磨崖仏)」がある。平成7年(1995)、磨崖仏としては全国で初めて国宝に指定された。城とあわせて訪ねる人が多い。
【二王座歴史の道】
石畳の道が続く、城下町の面影を残す通り。平成5年(1993)に、国の「都市景観100選」に選ばれた。
【御城印】
臼杵市観光交流プラザで授与されている。大友氏の家紋入り・稲葉氏の家紋入り(各300円)、両氏の家紋入り(500円)、季節限定版(500円)の全4種類。郵送での購入もできる。
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城(193番)。大分県指定史跡。
築城
永禄5年(1562)から翌年にかけて、大友宗麟が築いたとされる(弘治3年(1557)ごろとする説もある)。
テーマ
続日本100名城桜の名所
基本情報
住所
大分県臼杵市大字臼杵字丹生島
見学時間
入場は無料で、特に開園時間の定めはなく、いつでも見学できる。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR日豊本線「臼杵」駅から徒歩約10分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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