TabiShiri
城 御城印国指定史跡(平成17年/2005年指定)。続日本100名城 第192番。 玖珠郡玖珠町

角牟礼城

つのむれじょう

この城について
豊後の戦国大名・大友氏 vs 島津氏・毛利氏の攻防の舞台。標高約577mの角牟礼山に築かれた、九州屈指の山城。続日本100名城#192。

歴史・由来

豊後の戦国大名・大友氏(おおともし)と、島津氏・毛利氏との攻防の舞台となった山城。 築城は弘安年間(1278〜1288ごろ)、森朝通(もりともみち)によると伝わるが、確実な史料の上での記録は文明7年(1475)が最初とされる。戦国時代には、大友氏配下の玖珠郡衆(くすぐんしゅう)の中心だった森氏の居城として、大友氏の指導のもとで改修が重ねられた。 天正14年(1586)、島津義弘(しまづよしひろ)による豊後侵攻の際には、玖珠郡衆がこの城に籠城し、島津の大軍を相手に落城することなく守り抜いた。 豊臣秀吉による九州平定の後、大友氏が改易されると、文禄3年(1594)に毛利高政(もうりたかまさ)がこの城に入り、石垣を用いた近世城郭風の改修を一部行った。しかし、関ヶ原の戦いの後、毛利高政は佐伯(さいき、現在の佐伯市)へ転封となり、佐伯城の初代城主となった。 慶長6年(1601)、来島長親(くるしまながちか)がこの地に入封して森藩を立藩したが、来島氏は城を持つ格式を認められていなかったため、角牟礼城は廃城となり、山麓に陣屋(森陣屋)が置かれた。角埋山(つのむれやま)そのものは、藩の御留山(おとめやま、立ち入りを制限された山)として大切に守られた。 平成17年(2005)、国の史跡に指定され、九州屈指の戦国山城遺構として近年再評価されている。

見どころ・特徴

【総石垣の遺構】 本丸北側・二の丸・三の丸などに石垣が配され、断崖そのものを天然の石垣として活かした設計になっている。九州の山城の中でも屈指の規模を誇る。 【玖珠盆地の絶景】 標高約577メートルの角埋山(つのむれやま)の頂上部からは、玖珠盆地を一望できる。 【豊後森駅の転車台】 近くの「豊後森駅」には、かつて蒸気機関車の方向転換に使われた転車台(ターンテーブル)が保存されており、あわせて訪ねる人が多い。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(平成17年/2005年指定)。続日本100名城 第192番。
築城
弘安年間(1278〜1288ごろ)、森朝通によると伝わる。確実な史料上の初出は文明7年(1475)。
基本情報
住所
大分県玖珠郡玖珠町森
アクセス
玖珠インターチェンジから車で約15分。本丸までは本格的な登山が必要で、徒歩約30分。駐車場は「豊後森藩資料館」周辺(わらべの館・三島公園付近)と、山上に近い「三の丸駐車場」の2か所があるが、山上の駐車場は道幅が狭く、対向車とのすれ違いが難しい区間があるため、小型車での慎重な運転が必要。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

記録を確認中...