この城について
7世紀後半、大和朝廷が築いた古代の山城(やまじろ)です。白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れたあと、唐(とう)・新羅(しらぎ)の攻撃に備えて西日本の守りを固めるなかで生まれ、九州を治める大宰府(だざいふ)を支える武器や食料の補給基地だったと考えられています。国の史跡で、続日本100名城にも選ばれています。いまは「歴史公園鞠智城」として整備され、全国でもめずらしい八角形鼓楼(はっかくけいころう)などの建物が復元されています。
歴史・由来
【海の向こうの危機から生まれた城】
鞠智城を理解する鍵は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いです。朝鮮半島で唐(とう)と新羅(しらぎ)の連合軍に大敗した大和朝廷は、敵が日本へ攻めてくることを恐れ、北部九州から瀬戸内にかけて山城(やまじろ)を次々に築きました。鞠智城もそのひとつで、7世紀後半に築かれたと考えられています。
【大宰府を後ろから支える】
九州の政治と守りの中心だった大宰府(だざいふ)の近くには、大野城(おおのじょう)や基肄城(きいじょう)が築かれました。鞠智城は、そこから南に離れた熊本の地に置かれ、大宰府に武器や食料を送る補給基地、あるいは九州南部を治めるための拠点だったとみられています。
【記録に残る鞠智城】
築かれた年を記した記録は残っていません。文献に初めて登場するのは『続日本紀(しょくにほんぎ)』の文武天皇2年(698)の記事で、大宰府に命じて「大野・基肄・鞠智の三城」を修理させたと書かれています。その後、平安時代には「菊池」の字で書かれるようになり、天安2年(858)の兵庫(ひょうご:武器をしまう倉)の火災の記録を最後に、城は文献から姿を消します。
【発掘でよみがえった古代の城】
昭和42年度(1967)から続く発掘調査で、八角形の建物跡をふくむ72棟の建物跡や貯水池の跡、炭(すみ)になった米などが見つかりました。平成16年(2004)に国の史跡に指定され、いまは歴史公園として古代の姿の一部が復元されています。
見どころ・特徴
【八角形鼓楼】城のシンボル。鼓(つづみ)の音で時刻を知らせたり、見張りをしたりする建物として復元されました。高さは15.8メートル。発掘で見つかった八角形の建物跡をもとにしています。
【米倉・兵舎・板倉】お米を蓄える高床の米倉(こめぐら)、防人(さきもり)たちが共同で暮らした兵舎(へいしゃ)、武器や武具をしまった板倉(いたくら)も復元されていて、古代の城でどんな暮らしが営まれていたのかを想像できます。
【温故創生館】鞠智城のガイダンス施設です。模型や映像で古代の山城のしくみを学べます。貯水池の跡から見つかった、百済(くだら)から持ち込まれたと考えられる銅造の菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)も展示されています。
【続日本100名城スタンプ】スタンプは温故創生館に置かれています。休館日は押せないのでご注意ください。
学び・特徴
社格
国指定史跡・続日本100名城(189番)
創建
7世紀後半(築城年の記録はない。文献に初めて出てくるのは文武天皇2年〈698〉の修理の記事)
テーマ
続日本100名城国史跡山城
基本情報
住所
熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
見学時間
園内の散策は一年中いつでもできます。温故創生館は9時30分から17時15分まで(入館は16時45分まで)。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)と12月25日から1月4日まで。入館無料。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
車の場合、九州自動車道・植木インターチェンジから約20分、熊本空港から約40分。無料駐車場あり。
バスの場合、熊本市の桜町バスターミナルから約60分の「菊池プラザ」で降り、タクシーで約5分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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