この城について
阿波の中世大名・一宮氏の本拠として延元3年(1338)に築かれた、徳島県内最大規模の山城。戦国末期には長宗我部元親が拠点とし、天正13年(1585)には豊臣秀長の大軍を迎えて激しい攻防を繰り広げた。本丸に残る阿波青石の石垣は、その後入城した蜂須賀家政による改修の跡と伝わる。続日本100名城の176番。
歴史・由来
一宮城を理解する鍵は、中世の山城が近世の石垣を纏うに至った、二段階の歴史にある。
延元3年(1338)、阿波守護・小笠原長房の四男である小笠原長宗がこの地に城を築き、一宮氏の祖となった。以来、一宮氏は代々一宮城を居城とし、戦国時代には阿波を治めた三好氏の家臣団の中でも重要な地位を占めた。
戦国末期、土佐から阿波へ勢力を広げる長宗我部元親が城主・一宮成祐(一宮成助)と結ぶが、天正10年(1582)11月、元親は成祐を夷山城(えびすやまじょう)に招いて謀殺し、一宮城とその一帯を手中に収めた。元親はその後、この城を豊臣秀吉の四国征伐に備える最前線の拠点とした。
天正13年(1585)、秀吉の弟・羽柴秀長が率いる4万の大軍が一宮城に押し寄せた。城を守る元親方の兵はおよそ1万。水源をめぐる攻防が『太閤記』などに記されるほどの激戦となったが、同年7月、元親は土佐一国に押し込められることを条件に降伏し、開城した。阿波を与えられた蜂須賀家政はこの城に入り、本丸に阿波青石(あわあおいし)の石垣を築くなど近世城郭への改修を進めたが、翌年には徳島城を築いて移り、一宮城はその役目を終えた。
見どころ・特徴
【阿波青石の石垣】
本丸に残る野面積みの石垣は、蜂須賀家政が入城した際に築かれたと考えられている。中世の土の山城に、近世の石垣が重なる珍しい姿を今に伝える。
【本丸・明神丸・才蔵丸・小倉丸などの曲輪群】
標高約144メートルの本丸を中心に、明神丸・才蔵丸・小倉丸などいくつもの曲輪が連なり、徳島県内でも最大規模の山城の広がりを実感できる。
【鮎喰川と竪堀が守る天然の要害】
麓を流れる鮎喰川を天然の堀とし、背後の急峻な山地とあわせて守りを固めた要害の地形が、随所の竪堀とともに残る。
【御城印】
登城口の無人販売所で、続日本100名城の御城印(300円)を入手できる。季節ごとに色が変わる限定版が用意されることもある。
「阿波国分寺跡」や「四国八十八ヶ所霊場第13番大日寺」と合わせて巡ると、一帯の歴史をより深く楽しめる。
学び・特徴
社格
続日本100名城176番・県指定史跡(昭和29年指定、国史跡指定を目指して調査が進められている)
創建
延元3年/暦応元年(1338)、小笠原長宗(阿波守護・小笠原長房の四男)による築城と伝わる。
テーマ
続日本100名城石垣
基本情報
住所
徳島県徳島市一宮町
アクセス
JR徳島駅から徳島バスで約30分、「一宮支所前」下車、徒歩約15分で登山口に着く。登山口から本丸までは徒歩約30分から40分。
専用駐車場はなく、登山口付近の一宮神社の参拝者用駐車場を利用できる。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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