この城について
室町時代から戦国時代にかけて、西日本の有力な大名だった大内氏(おおうちし)が住んだ館の跡です。いまは龍福寺(りゅうふくじ)の境内になっていて、発掘調査をもとに西門や庭園が復元されています。背後の山にある詰めの城・高嶺城(こうのみねじょう)とあわせて「大内氏館・高嶺城」として続日本100名城(第174番)に選ばれ、国の史跡にもなっています。
歴史・由来
大内氏館を理解する鍵は、京の都にならって山口の町をつくった大内氏の歩みです。
【山口に本拠を移す】
1360年(正平15年/延文5年)ごろ、周防(すおう)と長門(ながと)を平定した大内弘世(おおうちひろよ)が山口に本拠を移し、この館を築きました。弘世は京の都にならった町づくりを進め、山口はのちに「西の京」と呼ばれるほど栄えます。
【大内文化の中心】
館は約200年にわたり大内氏の拠点となりました。大内氏は文化を大切にし、画僧の雪舟(せっしゅう)などがこの地で活動しました。
【大内氏の終わりと龍福寺】
天文20年(1551年)の大寧寺(たいねいじ)の変で大内義隆が亡くなると、大内氏の力は弱まり、弘治3年(1557年)に館は使われなくなりました。そののち毛利隆元(もうりたかもと)が、義隆の菩提(ぼだい)を弔うために館の跡に龍福寺を再興しました。
見どころ・特徴
【復元された西門】
発掘調査で見つかった柱穴などをもとに、館の西門が復元されています。
【よみがえった庭園】
発掘で見つかった池泉庭園(ちせんていえん、通称ひょうたん池)が平成23年に復元されました。枯山水の庭園も復元されています。
【土塁と堀】
館を囲んでいた土塁と堀の跡が残っています。
【龍福寺本堂】
館の跡に建つ龍福寺の本堂は、室町時代に建てられた国の重要文化財です。
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城 第174番(大内氏館・高嶺城)・国指定史跡
築城
1360年(正平15年/延文5年)ごろ、大内弘世が築く。弘治3年(1557年)廃絶
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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