この城について
天正10年(1582)、羽柴(のちの豊臣)秀吉が城のまわりを水で囲む「水攻め」を行ったことで知られる城の跡です。城主の清水宗治(しみずむねはる)が自らの命と引きかえに城兵を救った場所で、この戦いの最中に本能寺の変が起きました。今は公園として整備され、夏には堀に「宗治蓮(むねはるはす)」が咲きます。国の史跡で、続日本100名城(171番)に選ばれています。
歴史・由来
備中高松城を知る鍵は、城を「水に沈める」という前代未聞の攻め方と、その最中に起きた本能寺の変です。
【沼に守られた城】
備中高松城は、まわりを沼地に囲まれた低い土地に築かれた城です。毛利氏に仕える清水宗治が城主となり、織田信長の命で中国地方に攻め込んできた羽柴秀吉の軍勢を迎え撃ちました。宗治は秀吉からの誘いを断り、毛利氏への忠義を貫いたと伝わります。
【水攻め】
天正(てんしょう)10年(1582)4月、秀吉は城を囲み、蛙ヶ鼻(かわずがはな)から足守川(あしもりがわ)まで約3キロにわたる堤を築きました。川の水を引き入れて城のまわりを湖のようにし、城を孤立させたのです。
【本能寺の変と宗治の最期】
攻防が続く中、6月2日に京都で本能寺の変が起き、信長が倒れました。知らせを受けた秀吉は毛利氏との和睦を急ぎ、6月4日、宗治が自害することで和睦が成り、城は開かれました。宗治の辞世「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」が伝わっています。この直後、秀吉は京へ軍を急がせ(中国大返し)、明智光秀との山崎の戦いへと向かいました。
見どころ・特徴
【宗治蓮(むねはるはす)】本丸と二の丸の間の堀に咲く蓮です。昭和57年(1982)に岡山市が沼を復元したところ、昔から「蓮池」の地名が残っていたこの場所に自然に蓮が生え、宗治にちなんで名づけられました。例年7月中旬、約4,000平方メートルにわたって花が咲きます。
【本丸跡と宗治の首塚】本丸跡は高松城址公園として整備されています。周辺には宗治の首塚や胴塚、自刃の地と伝わる場所があります。
【蛙ヶ鼻築堤跡】水攻めのために築かれた堤の起点の跡で、高松城水攻め史跡公園として整備されています。
【高松城址公園資料館】清水宗治や水攻めに関する資料、周辺から出土した遺物を展示しています。入館無料。
学び・特徴
社格
国指定史跡・続日本100名城171番
テーマ
続日本100名城国史跡戦国
基本情報
住所
岡山県岡山市北区高松558-2
見学時間
高松城址公園資料館は10時から15時まで(月曜日と年末年始は休館。月曜日が祝日の場合は開館)。続日本100名城のスタンプは資料館に置かれています(休館日は近くの清鏡庵に設置)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR吉備線(桃太郎線)「備中高松」駅から徒歩約10分。
【車】岡山自動車道「岡山総社IC」から約15分。駐車場あり(普通車約30台、大型車3台から5台)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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