TabiShiri
城 御城印 高槻市

芥川山城

あくたがわやまじょう

別名:芥川城(あくたがわじょう、国史跡指定名)

この城について
三好長慶(みよしながよし)が本拠とした山城。永正年間(16世紀初め)に管領・細川高国が築いた城を、天文22年(1553)に長慶が掌握し、永禄3年(1560)に河内・飯盛山城へ移るまでの拠点とした。「織田信長以前の天下人」と評されることもある長慶の権力の中心地であり、続日本100名城(第159番)に選ばれている。

歴史・由来

芥川山城を理解する鍵は、細川氏の要害として生まれた城が、戦国畿内を動かした三好長慶の政庁へと姿を変えていった歩みにある。 永正12年(1515)頃、管領・細川高国(ほそかわたかくに)が、三好山(標高約183メートル)に城を築いた。『瓦林政頼記(かわらばやしまさよりき)』には、昼夜を問わず多数の人夫を動員した大規模な普請だったと記されている。初代城主には能勢頼則(のせよりのり)が置かれた。 天文8年(1539)、阿波の名族・三好氏出身の三好長慶が入城。天文22年(1553)には城主として支配を確立し、以後、永禄3年(1560)に河内・飯盛山城へ移るまで、この城を拠点に京・大坂・堺を含む畿内一帯を支配した。将軍家をしのぐ力を持ったことから、近年では「織田信長以前の天下人」と評されることもある。 長慶が城を離れたのちも城は使われ続け、織田信長の摂津侵攻(1568)後は和田惟政(わだこれまさ)が城主となった。惟政が1571年に討死すると、その子惟長を経て高山右近(たかやまうこん)父子が支配したが、まもなく廃城になったと考えられている。令和4年(2022)11月には国の史跡に指定された。

見どころ・特徴

【三好長慶の権力を伝える遺構】 発掘調査により、主郭には本格的な御殿建築があったことが確認されている。「戦国畿内の天下人」の拠点にふさわしい規模だったことがうかがえる。 【良好に残る石垣】 大手の谷筋を中心に、自然石と割石を使った石垣が残る。部分的に崩れてはいるものの、高さ2メートルを超える箇所もある。 【堀切・土橋・竪土塁】 尾根を断ち切る堀切や土橋、斜面に築かれた竪土塁など、山城ならではの防御施設が良好な状態で残っている。 【山頂から一望する大阪平野】 標高約183メートルの主郭からは大阪平野を一望でき、晴れた日には約3.5キロ先の今城塚古墳(いましろづかこふん)まで見渡せる。
学び・特徴
創建
永正12年(1515)頃、管領・細川高国が築城したと伝わる。
テーマ
続日本100名城山城・戦国史跡
基本情報
住所
大阪府高槻市原
アクセス
JR京都線「高槻」駅北側のバスのりばから、高槻市営バス(塚脇・下の口方面行き)で「塚脇」バス停下車。バス停から登城口まで徒歩約30分(坂道で、途中から未舗装)、登城口から主郭までさらに徒歩20〜40分程度(資料により差があります)。専用駐車場はなし。付近にトイレはないため、事前に済ませておくことをおすすめします。スズメバチの目撃情報もあるため、山歩きに適した服装での参拝をおすすめします。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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