この城について
築城の名手として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)の傑作。天正17年(1589年)ごろ、この地で起きた北山一揆(きたやまいっき)を鎮めるための拠点として築かれた。山の地形を巧みに利用し、若き高虎の築城技術が最高潮にあった時期を示す城として、続日本100名城の155番に選ばれている。総石垣造りの遺構が山中に良好に残り、隣接する田平子峠(たびらこだお)刑場跡とあわせて、国の史跡「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」に指定されている。
歴史・由来
築城名人・藤堂高虎の傑作。
天正17年(1589年)ごろ、豊臣秀長の家臣で山奉行を務めていた藤堂高虎が、この地で起きた北山一揆(紀州一揆)を鎮めるための拠点として築いた。山岳の独特の地形を巧みに利用した、初期高虎流築城術の最高峰とされる。
築城後、大きな戦いに巻き込まれることはなかったが、慶長19年(1614年)、大坂の陣で新宮藩主が出陣した隙をついて、再び北山一揆が起こった。一揆はすぐに鎮圧され、多くの者が赤木城近くの田平子峠で処刑されたと伝わる(処刑された人数については資料によって差があり、正確な数は分かっていない)。この騒乱の鎮圧後、元和元年(1615年)の一国一城令により、赤木城は廃城となった。
短命だった城だが、高虎の若き築城技術の到達点を示す貴重な遺構として、近代以降、史跡として整備されている。総石垣・大手門の遺構が、山中に良好に残る。平成元年(1989年)10月9日には、「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」として国の史跡に指定された。
見どころ・特徴
【総石垣の遺構】主郭を中心に東郭・西郭・南郭・北郭が配置され、南東隅には枡形虎口(ますがたこぐち)を持つ、若き高虎の築城技術を体感できる稀有な城跡。
【田平子峠刑場跡】赤木城とともに国の史跡に指定されている、北山一揆の処刑地。あわせて訪れることで、この城が担った統治の歴史を深く知ることができる。
【天空の城】標高約230メートルの山中にあり、桜の季節や朝霧の立つ時期には、山あいに浮かぶような景観が見られることで知られる。
辿り着くのが大変な秘境的な城だが、それゆえに観光客の少ない静かな探訪が楽しめる。「丸山千枚田」や世界遺産「熊野古道」など、周辺の見どころと組み合わせて訪ねるのもおすすめ(赤木城自体は世界遺産の構成資産ではない)。
学び・特徴
社格
続日本100名城155番(2017年選定)。「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」として平成元年(1989年)10月9日、国の史跡に指定。
創建
天正17年(1589年)ごろ
基本情報
住所
三重県熊野市紀和町赤木
アクセス
JR紀勢本線「熊野市」駅から車・タクシーで約30分から40分(国道42号から311号経由)。紀勢自動車道「熊野大泊」インターチェンジからは車で約40分。公共交通機関で訪れるのは難しく、レンタカーなどの利用が現実的である。駐車場は麓に無料で30台分、トイレも完備されている。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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