この城について
伊勢神宮へ向かう道をおさえる丘に築かれた城の跡。南北朝時代に北畠親房(きたばたけちかふさ)・顕信(あきのぶ)父子が南朝の拠点として築き、戦国時代の終わりに織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が三層の天守をもつ城に造り替えた。野面積み(のづらづみ)の石垣と天守台がよく残り、続日本100名城の154番。春の桜でも知られる。
歴史・由来
この城を読み解く鍵は、伊勢神宮への道をおさえる場所に築かれた、という一点にある。
始まりは南北朝の争乱のさなか、延元元年(北朝では建武3年、1336年)。南朝方の中心にいた北畠親房(きたばたけちかふさ)と、その子・顕信(あきのぶ)が、玉丸山(たままるやま)と呼ばれたこの丘に城を構えた。伊勢は南朝にとって命綱の土地で、その入口を守る砦だった。興国3年(1342年)には足利方に攻め落とされているが、その後も城は北畠一族の田丸氏が受け継いでいく。
大きく姿を変えるのは天正3年(1575年)。伊勢を手に入れた織田信長が、次男の信雄(のぶかつ)をこの城に入れた。信雄は山城だった城を平山城に造り替え、三層の天守を建てたと伝わる。ところが天正8年(1580年)、火事でその天守は焼け落ちてしまった。
江戸時代に入ると、城主は稲葉道通(いなばみちとお)、藤堂氏と移り、元和5年(1619年)からは紀州徳川家の家老・久野(くの)氏が代々この城を預かった。明治2年(1869年)に廃城となるまで、およそ250年である。
南朝の砦として生まれ、天下人の息子が天守を上げ、最後は御三家の家老が守った。ひとつの丘に、時代ごとの権力が順番に石を積み重ねていった城である。
見どころ・特徴
【野面積みの石垣】自然石をあまり加工せずに積み上げる野面積み(のづらづみ)の石垣が、曲輪(くるわ)をめぐって累々と残る。田丸城でいちばん評価の高い見どころである。
【天守台と本丸】織田信雄が建てた三層の天守は焼けて残っていないが、その土台である天守台は石垣とともに残っている。本丸の虎口(こぐち、出入口)では門や建物の礎石も確認できる。
【富士見門】江戸時代の門が、いまも城跡のなかに移されて建っている。
【旧三の丸奥書院】江戸時代に建てられた書院造りの建物。内部を見学することもできるが、事前の問い合わせが必要。
【村山龍平記念館】城跡のふもとにある。朝日新聞社をおこした村山龍平(むらやまりょうへい)はこの地の出身で、その業績や遺品と、玉城町の歴史を展示している。
【四季のうつろい】春は桜、夏は大賀蓮(おおがはす)と紫陽花(あじさい)、秋は紅葉、冬はライトアップと、季節ごとに表情が変わる。
【訪ねかた】曲輪から曲輪へ石段と坂を登っていく造りなので、歩きやすい靴で出かけたい。記念館でスタンプと御城印を受けてから城跡へ上がると、どこを見ればよいかが分かって歩きやすい。
学び・特徴
主祭神
北畠親房北畠顕信織田信雄稲葉道通久野氏
社格
三重県指定史跡。続日本100名城の154番(平成29年/2017年選定)。
創建
延元元年(北朝の建武3年、1336年)に北畠親房・顕信父子が築いたと伝わる。天正3年(1575年)に織田信雄が平山城へ改築。明治2年(1869年)に廃城。
テーマ
続日本100名城#154桜紅葉
基本情報
住所
三重県度会郡玉城町田丸字城郭114-1
見学時間
城跡は見学自由で、料金はかかりません。休みもありません。
城跡のふもとにある村山龍平記念館は、平日が午前8時45分から午後4時30分まで、土曜・日曜・祝日は午前9時から午後4時30分まで。休みは年末年始(12月29日から1月3日)で、入館は無料です。
続日本100名城のスタンプと城郭めぐりのスタンプは、この記念館に置かれています。御城印も同じ場所で受けられ、通常版はスタンプ形式で無料、伊勢和紙を使った季節限定版は各300円(数量限定)。限定版は春が桜とメジロ、夏が蓮にトンボ、秋がカラス瓜、冬がツバキです。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR参宮線の田丸駅から徒歩約10分。車なら伊勢自動車道の玉城インターチェンジから約10分。駐車場があり、料金はかかりません。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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