この城について
三重県津市美杉町の山あいにある、伊勢国司(いせこくし)北畠氏の本拠地の跡です。山の上の霧山城(きりやまじょう)と、ふもとの館(やかた)の跡を中心に、およそ240年にわたって北畠氏がこの地を治めました。館の跡には北畠神社が建ち、室町時代の庭園が残っています。国の史跡で、続日本100名城の第153番に選ばれています。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、「山深い多気(たげ)に、京都の文化が花開いた」という点にあります。
【北畠氏と伊勢】北畠氏は、南北朝時代に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の南朝を支えた北畠親房(ちかふさ)の一族です。親房の子・北畠顕能(あきよし)は延元(えんげん)3年(1338年)に伊勢国司となり、南伊勢を治めるようになりました。
【多気に本拠を置く】興国(こうこく)3年(1342年)に田丸城(たまるじょう)が落ちると、北畠氏は山深い多気に拠点を移し、山の上に霧山城、ふもとに館を築きました。ここから、北畠氏はおよそ240年にわたって伊勢を治めます。
【京の文化が届いた山里】戦国時代の北畠氏は、京都や大和・尾張・美濃と行き来し、多くの品物や文化を多気に取り入れました。館跡に残る庭園は、室町幕府の管領(かんれい)・細川高国(ほそかわたかくに)が造ったと伝わるもので、その豊かさを今に伝えています。
【織田信長と北畠氏の終わり】永禄(えいろく)12年(1569年)、織田信長が伊勢に攻め込み、大河内城(おかわちじょう)の戦いのあと和睦(わぼく)が結ばれました。このとき信長の次男・信雄(のぶかつ)が北畠家の養子となります。そして天正(てんしょう)4年(1576年)、信長の命令によって前当主の北畠具教(きたばたけとものり)らが討たれ(三瀬の変)、北畠氏は滅びました。
【その後】館の跡には、のちに北畠氏をまつる北畠神社が建てられました。
見どころ・特徴
【北畠氏館跡庭園】館の跡に残る池泉観賞様式(ちせんかんしょうようしき)の武家庭園で、細川高国が造ったと伝わります。国の名勝・史跡に指定されています。石を組んだ力強い景色が見どころで、11月中旬から下旬には紅葉も楽しめます。
【北畠神社】館の跡に建つ神社で、北畠顕能をまつっています。続日本100名城のスタンプは、ここの社務所に置かれています。
【霧山城(詰城)】館の背後の山には、いざというときに立てこもる城がありました。庭園と鳥居の間の道の奥から登山道が続き、途中の詰城(つめじろ)までは10分から15分ほどです。堀切(ほりきり)や曲輪(くるわ)の跡が残っています。
【美杉ふるさと資料館】館跡から南へ200mほどのところにあり、北畠氏と美杉の歴史を紹介しています。
【訪ねかた】庭園・神社・詰城をあわせて1時間から2時間ほど見ておくとよいでしょう。山の中なので、歩きやすい靴がおすすめです。
学び・特徴
社格
国史跡(多気北畠氏城館跡、昭和11年〈1936〉9月3日指定)/北畠氏館跡庭園(国名勝・史跡)/続日本100名城 第153番
創建
興国3年(1342年)ごろ、田丸城の落城を受けて北畠氏が多気に本拠を移したことに始まる。天正4年(1576年)の北畠氏滅亡まで、およそ240年にわたって使われた。
テーマ
続日本100名城国史跡庭園
基本情報
住所
三重県津市美杉町上多気
見学時間
北畠氏館跡庭園の拝観料は300円です。続日本100名城のスタンプは、北畠神社の社務所で8時30分から17時まで押せます。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR名松線「伊勢竹原駅」から市営バス「丹生俣」行きで約40分、「北畠神社前」下車。車の場合は、伊勢自動車道・久居ICから国道165号・県道15号経由で約60分。北畠神社の南側に無料駐車場あり。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
記録を確認中...