TabiShiri
城 御城印国指定史跡・続日本100名城(143番) 可児市

美濃金山城

みのかねやまじょう

別名:金山城、烏峰城(うほうじょう)、兼山城

この城について
木曽川(きそがわ)のほとり、古城山(こじょうやま)の山頂に築かれた戦国時代の山城です。織田信長の家臣・森可成(もりよしなり)とその子どもたちが35年にわたって城主をつとめ、「鬼武蔵(おにむさし)」と呼ばれた森長可(もりながよし)や、信長の側近として知られる森蘭丸(もりらんまる)ゆかりの城として知られます。城が壊された「破城(はじょう)」の跡がそのまま残る貴重な城跡で、国の史跡に指定され、続日本100名城にも選ばれています。

歴史・由来

【名前が三度変わった城】 美濃金山城を理解する鍵は、「烏峰城(うほうじょう)」「金山城」「兼山(かねやま)」と、時代ごとに変わった名前です。その移り変わりが、そのまま城の一生を物語っています。 【烏峰城のはじまり】 天文6年(1537)、斎藤正義(さいとうまさよし)がこの山に城を築き、「烏峰城」と名づけました。 【森家の城・金山城】 永禄8年(1565)、美濃に攻め入った織田信長の家臣・森可成が城主となり、名前を「金山城」に改めました。可成が戦で亡くなると、次男の長可が若くしてあとを継ぎ、城下町を整えました。長可は勇猛さから「鬼武蔵」と呼ばれましたが、天正12年(1584)の小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いで命を落とします。森家は可成、長可、蘭丸(可児市では「乱丸」と表記)、そして末の弟の忠政(ただまさ)へと、35年にわたってこの城を受け継ぎました。 【破城、そして川湊の町へ】 慶長5年(1600)、森忠政が信濃(しなの)の川中島へ移されると、城は役目を終えます。慶長6年(1601)ごろには、犬山城主の小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)によって壊されました。その後、この地は「兼山」と名を改め、木曽川の川湊(かわみなと)として栄えました。忠政はのちに美作(みまさか)の津山(岡山県)に移り、津山城を築いています。 【約400年眠っていた城】 城が壊されたあと、ほとんど手が加えられないまま約400年がたちました。そのため、石垣・礎石(そせき)建物・瓦といった、信長・秀吉の時代の城の特徴と、城を壊した跡の両方をそのまま見ることができます。平成25年(2013)に国の史跡に指定されました。

見どころ・特徴

【破城の跡】城を使えなくするために石垣の角などを崩した「破城」の跡が、壊されたときの姿のまま残っています。東海地方でもめずらしい、城の「終わり方」を見られる場所です。 【天守台と石垣】本丸には石垣に囲まれた天守台が残り、出丸(でまる)の南側にも長さ約45メートルの石垣が続いています。 【山頂からの眺め】山頂からは木曽川と可児の町並みが一望できます。 【可児市戦国山城ミュージアム】山のふもとにある資料館で、美濃金山城と森家、市内各地の山城について学べます。登る前に立ち寄ると、城跡の見え方が変わります。
学び・特徴
社格
国指定史跡・続日本100名城(143番)
創建
天文6年(1537)、斎藤正義が烏峰城として築城
テーマ
続日本100名城国史跡山城
基本情報
住所
岐阜県可児市兼山1418-210
見学時間
城跡の見学は無料(岐阜県観光公式サイトでは8時30分から17時まで)。 可児市戦国山城ミュージアムは9時から16時30分まで(入館は16時まで)。休館日は月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始。入館料は一般210円、高校生以下は無料。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
車の場合、東海環状自動車道「可児御嵩インターチェンジ」から約10分。駐車場あり(普通車17台)。 バスの場合、JR・名鉄「可児」駅からさつきバス、または名鉄「明智」駅からYAOバスで「元兼山町役場前」下車、徒歩約15分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

記録を確認中...